出版社内容情報
文章が読まれているとき、そこでは何が起こっているのか。読む/書くという営為の奥深く豊潤な世界へと読者をいざなう。
内容説明
小説を読んでいる時、その読者は、あなたであってあなたではない。本が読まれているさなか、「読者」はどんな機能を果たしているのか―。近代読者の誕生から百年余り。文学研究と現代思想の変遷を跡づけ、「内面の共同体」というオリジナルの視点も導入しながら、読む/書くという営みの奥深き世界へと読者をいざなう。文庫化にあたり大幅に増補した決定版。
目次
第1章 読者がいない読書
第2章 なぜ読者が問題となったのか
第3章 近代読者の誕生
第4章 リアリズム小説と読者
第5章 読者にできる仕事
第6章 語り手という代理人
第7章 性別のある読者
第8章 近代文学は終わらない
第9章 主人公の誕生
第10章 「女性」を発見した近代小説
著者等紹介
石原千秋[イシハラチアキ]
1955年生まれ。早稲田大学教育・総合科学学術院教授(日本近代文学)。夏目漱石から村上春樹まで、小説を斬新な視点から読んでいく仕事に定評がある。著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
佐島楓
64
大学生・院生向けの文学理論本だが、一般の読者でも理解しやすいと思われる。小説がどう読まれてきたかということを知るために読んだ。作者とテクストと読者という三様の関係は面白く不思議なものだ。まあ研究しようと思わない限り理論をきっちりやる必要はないと思う。このあたりは文中でも触れられているとおり解釈を求める学校教育の弊害が影響している。自由に読めばいいのだ、小説は読者に手渡されたギフトなのだから。2021/07/18
TSUBASA
18
日本の文学の来し方を振り返りつつ、文学作品と読者の位置関係を論じた読者論。軽い気持ちで手に取ったら存外ガチンコの文学論であった。正直な話、私自身は文学論に精通しようとも思わないので入門と言われても読むのに難儀したし、ピンと来なかった面も多々ある。しかし、読み手としての自分を意識する機会にはなったかな。一口に読者と言っても、語り手や主人公の属性、あるいは読んでいる側の文化的背景、その時代の常識などによって様々な立ち位置になるわけで。読者はどこにいるのか意識すると作品の奥行きを楽しむことができるかもしれない。2021/09/20
hasegawa noboru
13
芥川龍之介の小品『蜜柑』(大正八年五月)の精緻な分析。「私」と「小娘」が乗った横須賀線の汽車は平行ロングシートであったのに、なぜボックスシートだったかのように誤読してしまいがちなのかの考察等を通じて、<語り手とは読者だったのだ。>と結論付ける第六章が私にはもっとも面白かった。<「読者は」は現実世界と小説テクストとの間に概念として「存在」するのである>(おわりに)。総じて日本近代文学概論の講義を聴くようであった。2021/08/05
こばやしこばやし
9
巻末の「おわりに」の章でまとめられているが、本書は①パラダイムによって近代文学の「読者」研究が影響を受けること②近代文学研究における「読者」の機能③読者論とカルチャラル・スタディーズ④柄谷行人『近代文学の終り』に対する異議申し立て、について述べられている。ボリューミーな内容にもかかわらず、紙幅が限られているので、論理展開がトバしている印象が強かった。しかし、行きつ戻りつしながら読むと、本書が想定する読者層(「大学生以上、知的な大人まで」)には刺戟的な内容だと思う。俯瞰的に小説が読めるかも?2023/01/14
カイエ
8
真面目にノートを取りながら読んだが、〈語り手とは読者である。〉のあたりから迷子になってしまった。作家論→作品論→テクスト論からの流れの読者論(読者至上主義といった意味合いで)かと思いきや、そういうわけでもないらしく、読者として視点を変えて新しい読み方をしてみようというようなことなのでしょうか……(自信なし)。『きらきらひかる』は「女として読む」というよりも、著者自身が記したように〈笑子の「自然」を受け入れる〉=笑子の側に立って読めるかということだと思う。女/男ではなく、笑子/笑子以外。2021/10/12