内容説明
はだしで盲目で、心もおかしくなって、さまよってゆくおもかさま。四歳のみっちんは、その手をしっかりと握り、甘やかな記憶の海を漂う。失われてしまったふるさと水俣の豊饒な風景、「水銀漬」にされて「生き埋め」にされた壮大な魂の世界が、いま甦る。『苦海浄土』の著者の卓越した叙情性、類い希な表現力が溢れる傑作。
著者等紹介
石牟礼道子[イシムレミチコ]
1927年熊本県天草生まれ。生後すぐに水俣に移る。詩人、作家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 2件/全2件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ふう
96
昭和初期、苦海となる前の水俣の暮らしを描いた物語です。この国の自然や四季はこんなに美しく、人々の暮らしはこんなに豊かで愛おしいものだったのかとしみじみとした気持ちで読みました。この後に人々がこの豊かさを失い、町が死の町と変わっていくことを思うと、その美しさが悲しくさえ見えます。自然がもたらす小さな恵みにも「いただきます」と声をかけ、分け合い、よく働き、ささやかなことを楽しむ暮らし。その暮らしを語る言葉がまた美しく、「書く」ということについて改めて考えさせられる作品でした。2018/06/16
井月 奎(いづき けい)
51
子供は神の領域に少し入ったままで生活をします。大人になるとそのことを忘れてしまい、神との会話は朧な色合いの心が残るばかりになるのでしょう。著者は神の国のほのかな色合いを保つ自らの心の泉を、その水を濁らすことなく浚渫します。自然は美しさと恐ろしさ、人は優しさと残酷さ陰険さを同時に孕んでいるのです。この作品は後にそこに住む人々に生き地獄を見せる水俣病に飲み込まれる前日譚で、美しい自然を保つ村におこった悲劇と見るのか、悲劇のおこった村にも人を育む自然があると見るのか、それを問うてもくる壮大な叙事詩です。2016/10/02
たま
39
水俣の海と山、その懐で営々と続く女たちの手仕事、隠亡、女郎、病者、狂女らもいる共同体、神々やその眷属、雨乞いの祭り。濃密な描写が、人間と自然、生と死、見えるものと見えないものが一体の宇宙を喚起し、そのリアリティに圧倒され幻惑される思いで読んだ。家産を失い零落する家、石で追われる神経病みの祖母、祖父と確執する父の鬱屈。幼いみっちんはそれらを一人暗部に抱え込む。この抱え込む力が凄い。牧歌的な冒頭から暗く重い最後の数章に至るまで、忘れがたいイメージが続く。読むのに時間がかかったが、何度も読み返す本になると思う。2020/12/22
みねたか@
39
山道伝いに海に潜れば一週間分もの多彩な旬の海山のものが採れる豊かな自然。川の神,山の神,人ならぬ者たちとの共存。山の稜線,木々の肌,風の音,花々の色,五感に響く豊かな海山の世界。一方の人間界は,没落していく家,狂女となった祖母とその世話に追われる母と叔母,廓の遊女たち,口さがない大人たちの様々な声。少女はふたつの世界のあわいを漂い,目を凝らし耳を澄まし全身で感じる。夢幻,幽玄の世界を過剰な表現なしにもこれだけ豊かに著せることにただ感嘆するばかり。2020/01/08
yumiha
35
やっと読めた。『苦海浄土』を書いた石牟礼道子の感性を育てたものが見えたような気がする。昭和初期の水俣には、アニミズムちゅうか精霊たち(山の神、川の神、山童などなど)がいた。幼児のみっちんは、時に狐の仔になったり、竜の玉になったりしながら自然と交感する。また、盲目で狂女の祖母おもか様と暮らすことで、この世のむごさを知り、人を見る目を養ってゆく。たとえ狂女といえども「おばあさんの知恵袋」的な経験を母や叔母たちが頼っていて、その時は正気に返るというのが驚きだ。そんな世界が水銀漬けにされてしまったこと、痛ましい。2019/09/06