内容説明
関ヶ原の戦いから15年後、大坂冬の陣・夏の陣での真田幸村らの活躍も虚しく、大坂城の片隅で豊臣秀頼・淀殿母子は自害を遂げる。果たして豊臣氏を滅ぼしたのは、あの「腹黒い」徳川家康なのだろうか?斬新な視点で通説に挑戦し、「戦国最後の合戦」の真相に迫る、歴史推理ドキュメント。
目次
第1章 豊臣公儀―秀頼の誕生(大坂城落城;豊臣公儀とは ほか)
第2章 徳川幕府―秀頼の成長(伊達政宗の大予言;大坂城の秀頼 ほか)
第3章 大坂冬の陣―秀頼の沈黙(方広寺鐘銘事件;豊臣氏の釈明 ほか)
第4章 大坂夏の陣―秀頼の最期(居座った牢人衆;豊臣方の不穏な動き ほか)
著者等紹介
相川司[アイカワツカサ]
歴史、ミステリ評論家。日本推理作家協会会員。1951年生まれ、早稲田大学政治経済学部卒業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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せつお
7
個人的に豊臣家贔屓なので、西軍側からみた関ケ原や大坂の陣ものを読むのが好きだ。 この本はほんとは戦を避け、共存共栄路線に舵を切りたかった家康を周囲も豊臣方も許せなかったという説がかかれている ハマスとイスラエルの戦いは日本における大坂の陣と同じ図式かと思います (アメリカいいなりのイスラム国家=家康いいなり豊臣恩顧の大名 フーシ派やヒズボラ=豊臣方の牢人に置き換えるたと) しょせん共存共栄なんて叫んでみたところで各大名の思惑、現将軍の腹が読めなかった家康の朦朧した部分が読み取れた いつまでも家康はイヤな奴2024/02/02
狐狸窟彦兵衛
4
大阪の陣400年でもあり、関係図書を読み漁っております。大坂の陣に至る背景が手際よくまとめられていて、大変わかりやすい。また、「腹黒い」家康に、大坂方が姦計にはめられていくという従来の構図ではなく、最後まで秀頼の助命をしようとした律儀な家康が描かれていて、興味深く読みました。豊臣を滅ぼしたのは、家康ではなく、時代の趨勢を読み切れなかった淀殿と秀頼の自滅であり、とどめを刺したのは秀忠であるという結論は、合理的に考えると納得いくことではありますが、物語の「情」としては、異論もあるでしょうね。2014/05/17
美亜希
1
「家康の陰謀」とされる通説を全部ぶっ壊して「家康はずっと秀頼を救済したかった」という観点から読み解かれた、大坂の陣。家康の立ち位置を見直すだけでこんなにも判りやすい構図になるのかと大変興味深く読ませていただいた。「影武者徳川家康」のようだと考えるとわかり易いかも。この時代だから難しいかもしれないが、大体において「お前らもっと顔合わせて話し合いや打ち合わせしておけよ」ってツッコミ入れたくなるほど考えのすれ違いが多い戦いだったのだな。少しだけ家康が好きになれそう。2014/05/31
代理
0
新事実発覚!!というよりも、「この資料はこういう読み方も出来るのでは?」とした立ち位置。家康贔屓すぎるのではと思うが、今までの俗説が家康を悪く言いすぎなのかもしれない。島津の良い人っぷりと、政宗の世渡りスキルの高さがおもしろかったです。豊臣恩顧も夢のまた夢…2013/07/28
はせけい
0
説得力があるように思いました、家康の秀頼擁護説。それまでの戦国時代を生きてきた家康の様を考えてみると、そういう感覚もあるかなあ。秀頼が御曹司という生き方しか知らなかったのは、姫様だった淀君の教育のせいだよなあ。北政所が育てていたら、いろいろ変わっていたかも、と思った次第です。2013/01/09