フルトヴェングラーと私―ユピテルとの邂逅

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  • サイズ B6判/ページ数 157p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784309273907
  • NDC分類 762.34
  • Cコード C0073

内容説明

2012年に逝去したドイツのオペラ、リート界の至宝フィッシャー=ディースカウは、まだ二十代の青年時、巨匠フルトヴェングラーの晩年1950年に、初めて出会うことになり、翌年ブラームスの「ドイツ・レクイエム」で歴史的な初共演を果たした。歌手にして指揮者、音楽研究家でもあった著者だからこそ、実体験から初めて捉え得た、指揮者・作曲家フルトヴェングラー晩年の実像。

目次

初めて彼を聴いた時のことなど
さすらう若人の歌
ドイツ・レクイエム
ウィーン・フィルとの共演
取り逃がした『フィガロ』
トリスタン
マーラーの録音セッション
問題
亡き子をしのぶ歌
マタイ受難曲
第二交響曲
第三交響曲
死の悲しみ
追憶

著者等紹介

フィッシャー=ディースカウ,ディートリヒ[フィッシャーディースカウ,ディートリヒ] [Fischer‐Dieskau,Dietrich]
1925年、ベルリン生まれ。ドイツを代表するバリトン歌手。1947年、ブラームス『ドイツ・レクイエム』でデビュー。48年、ベルリン市立歌劇場で、第一リリック・バリトンとして、フェレンツ・フリッチャイ指揮のヴェルディ『ドン・カルロ』でオペラ・デビュー。51年、ザルツブルク音楽祭に、フルトヴェングラーとの共演でマーラーの『さすらう若人の歌』でデビュー。54年からはバイロイト音楽祭にも出演した。51年には、ジェラルド・ムーアの伴奏で、初めて歌曲をレコーディング。以後、シューベルトを中心にドイツ・リートの名曲の数々を録音、カーネギーホールには64年にデビューした。20世紀音楽も積極的に歌うとともに、バッハなどの宗教曲もレパートリーとした。70年代からは指揮者としての活動も始め、晩年は後進の育成に貢献した。2012年逝去

野口剛夫[ノグチタケオ]
1964年、東京都生まれ。中央大学大学院(哲学)、桐朋学園大学研究科(音楽学)を修了。作曲理論を別宮貞雄氏に師事。現在、東京フルトヴェングラー研究会代表、ジャパン・エレクトロニック・オーケストラ音楽監督。研究、翻訳、講演、指揮、作編曲など多方面で活動(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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pintarou

1
フィッシャーディースカウによるフルトヴェングラー伝。本当は作曲がやりたかったという。戦中・戦後、ナチに振り回された人生を感じる。2023/06/19

どん

0
声楽家のフィッシャー=ディースカウの随筆。フルトヴェングラーのCDを聴くと、他の指揮者の演奏とは明らかに違う印象、感銘を受ける。音楽家としてフルトヴェングラーと接した筆者のフルトヴェングラー像は弁護のようにもとれるが、時代背景も絡めてどのように考え行動したのかがわかり、録音だけではわからない人間としてのフルトヴェングラーがわかり、身近に感じることができた。エピソードで紹介された演奏のCDを探して購入することになりそう。2016/05/06

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