シリーズ・道徳の系譜
賭博/偶然の哲学

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ B6判/ページ数 178p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784309244556
  • NDC分類 112
  • Cコード C0010

出版社内容情報

偶然をめぐる論理と倫理を、競馬予想を切り口に気鋭の哲学者が考察。賭博の本質にせまり、リスク社会を論じながら、生そのものを問う

内容説明

競馬をめぐるかつてない洞察にはじまり、ドゥルーズ/九鬼周造/フーコー/ドストエフスキーを斬新に読み解き、偶然の論理と倫理、そしてリスク社会の生をラディカルに問う、気鋭の哲学者による哲学の賭博。

目次

第1章 競馬の記号論(タカモト式とライプニッツ;競馬の経験論 ほか)
第2章 賭けることの論理―九鬼とドゥルーズ(偶然性と出来事の時間;出来事性の分類論 ほか)
第3章 賭けることの倫理―リスク社会と賭博(生きることの倫理;構造の無責任 ほか)
終章 賭博者たち(ドストエフスキー;一九九一年五月府中・二〇〇五年五月梅田 ほか)

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

フリウリ

7
とてもおもしろかった。九鬼周造の偶然性はとても難しいけれど、九鬼が言う偶然性と不可能性の相関性、そして偶然性は虚無であると同時に実在である、ということについて著者が、偶然的な発生(無から有への、始原の一突き)があらゆる現在に微分化して含まれている、と言い直すとき、わたしは感動(驚き、喜び)めいたものを覚えました。また、晩年のフーコーの言動は、何かヒューマンな温かいものではなく、シニカルで冷たいもの(人間は統計に支配される!)であったという指摘も腑に落ちました。フーコーもドゥルーズもいぢわるなぢいさん… 92024/03/05

Ecriture

7
リスク管理型社会は、自己の処しうる範疇を越えたものである責任が限りなく賭けに近いものであることを知りながら「自己責任」を倒錯的に主張するが、賭博者はリベラルな土台作りのための責任など感じずに計算不可能なものや負けを肯定する。賭博に倫理的いかがわしさを思う向きもあろうが、有限において無限に触れる私たちの生そのものが賭博であり跳躍である。「この今・このここ、この私」に交錯する神の「賽の一振り」を積極的に自己に引き受ける者こそが賭博者であり、彼らは「マイナーなものたち」の「密やかな反復」を見つめることができる。2013/01/18

ほしの

3
門外漢の私には、この著者の本は難しいなぁ。。。 1章の、賭博(競馬)の予想はあてるものではなく、あたるものという観点が興味深かった。大穴狙いなんてあてるものではなくあたるもの。確率的予測の外に出る行為。 2章は飛ばし気味に読んで、3章のフーコーの話が賭博とどう結びついてくるのか、その前に挫折した。また今度いつか読んでみたい。2022/06/13

Mayjufa

2
全編を通して、あまりにも格好良く心を震わせる多くの文章に出会え、(相変わらず)十全に理解できないながらに、生きることの深淵についてのイマージュを得られた。1章の最後のほうの、リベラル批判が痛快だった。終章で描かれる競馬場とその周辺の情景が、あまりにも美しくて、眩しくて、多くの届き得ないものを思って、自己の儚さと時間の残酷さに、涙が出そうになった。 なんで人は出会うのかなあと思った。たいてい、人生が交わるのはほんの一瞬で、その交点以外にはほとんど知り得ない。そのことが、しばしば、切ない。2020/10/05

保山ひャン

1
第1章は競馬の分析。タカモト式の予想とか面白い。第2章は九鬼周造の『偶然性の問題』を中心に。第3章はリスクと社会、フーコーなど。終章ではドストエフスキー、そしてやっぱり競馬に戻ってきた。生と賭博を関連づける論考だが、著者がとにかく好きなことを書きたおした感がある。そういえば、現代思想って、「賭け金」とか文中によく見るしなあ。2016/04/29

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/380393
  • ご注意事項