素晴らしきソリボ

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  • サイズ B6判/ページ数 246p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784309206707
  • NDC分類 953
  • Cコード C0097

出版社内容情報

語りの最中に突然「言葉に喉を掻き裂かれた」語り部ソリボの謎の死を中心に、口承と記述の出会いを描く、クレオール作家の代表作。

【著者紹介】
1953年マルティニーク島生まれ。クレオール文学の代表的作家。92年『テキサコ』でゴンクール賞。『カリブ海偽典──最期の身ぶりによる聖書的物語』『幼い頃のむかし』『クレオールとは何か』(共著)など。

内容説明

カーニヴァルの夜、語り部ソリボは「言葉に喉を掻き裂かれて」死ぬ。クンデラに「ボッカッチョやラブレーにつづく」と激賞された、クレオール文学の旗手の画期的小説。

著者等紹介

シャモワゾー,パトリック[シャモワゾー,パトリック] [Chamoiseau,Patrick]
1953年、フランスの海外県マルティニークの首都フォール=ド=フランスに生まれる。86年、『七つの不幸の年代記』で作家デビュー。92年、黒人たちの民話の語りを応用しつつ豊かな想像力と鮮やかな文体によって描かれた『テキサコ』でコンクール賞を受賞、世界的に注目される。現在、クレオール文学の第一人者として国際的に活躍している

関口涼子[セキグチリョウコ] [Honnor´e,Patrick]
1970年、東京生まれ。翻訳家、作家。日本の小説や漫画の仏語訳も多数。パリ在住

オノレ,パトリック[オノレ,パトリック]
1961年、フランス、マルティーグ生まれ。翻訳家。小説や、漫画をはじめとして、これまでに100点以上の日本の作品をフランス語に翻訳している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ケイ

146
クレオールの口承文化。舞台はマルニチークあたり。語り部のソリボが語る途中に突然に死ぬ。聴くもの達の助けようとするための奔走と警察や消防隊との温度差に、クレオールに潜む白人社会からの迫害や彼らの抱える苦しみが滲む。登場人物達のニックネームが独特で、終盤に勢ぞろいするまで分かりにくいところもあるが、このあたりの理解は再読する時の楽しみ。圧巻は最後の「ソリボの口上」 その掛け合いが聴こえてくるようだ。「あぁ、この場にいたい」と思った。第二回日本翻訳大賞受賞作。訳書の1人は、私にフランス語を教えてれた人。 2018/11/02

buchipanda3

92
「えぇくりぃ、えぇくらぁ」。フランスの海外県マルティニークが舞台の小説。喋り言葉を混ぜた文章で、文字が奏でる地域文化の色を体感するような面白さを堪能した。話の軸はソリボという語り部の謎の死。彼は皆の前で語る途中に倒れ、その意味が探求されていく。展開が破茶滅茶で、哀しき話だがキャラ達(みんなあだ名付き)のはっちゃけ振りが何とも可笑しい。ただその中には現地の欧州的思考の侵食と伝承的な人間味の喪失の関係が垣間見える。語りの文字化は難問。だが彼の口上には生気があり、身振りや口調を伴う口承に人間本来の言霊を感じた。2024/03/18

zirou1984

47
小説とはつまるところ、物語から声の力を強奪した屍体なのだろうか。物語は時にその内容と同じくらいに言葉の響きや抑揚、押韻が意味を持っているのであり、それは朗読することで驚くほど違った表情を見せてくれることもある。言語の混血児であるクレオール語が用いられるカリブ海諸島を舞台とした本作は調書―死んだ言葉から始まり、語り―小説には本来書き留められない生きた言葉で終わる。ソリボは死んだ、ソリボの言葉はもう産まれない。だからこそ本作はその生きた言葉の力を満面のユーモア込みで、こんなにも豊潤に伝え蘇らそうとする傑作。2017/01/10

zumi

33
「言葉」によって喉を切り裂かれた者がいる。彼は語り部だ。物語は失われた言葉を再構成するところから始まる。書かれたものと話されたものは、一体どれほどの違いがあるのだろう。これは話された言葉を書き言葉に翻訳するという、ほとんど不可能とも言うべき、混成言語を構築する試みで貫かれた作品だ。2015/02/21

スミス市松

28
誰もが愛するソリボは言葉に喉を掻き裂かれて死ぬ。クレオール語はフランス語に押し流され、蔓延する書き言葉が「本当の言葉」を覆い隠し、カリブ海のまばゆい輝きに彩られたモノガタリはその色味を失っていく。歪みつつある島の「書き留める者」を自称するシャモワゾーは、自らは決して「ソリボ」にはなり得ないことを、それどころか己れの書き言葉はソリボの〈声〉の残響の破片にすらならないことを自覚しつつも、なお街場の人々の語りに耳をすませて書かずにはいられなかった。それはなぜか。それは「ソリボとは誰だったのか」を忘れないためだ。2015/02/25

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