内容説明
小学校に通算一か月しか通っていない高峰秀子が、なぜ「名文家」と呼ばれるようになったのか?なぜ26冊もの著作を残し、今なお読まれ続けているのか?志賀、谷崎、太宰、三島、司馬、…文豪たちはなぜ彼女を愛したのか?皆さん、高峰と作家たちとの交友から答を見つけてください。
目次
1 高峰秀子、作家を語る
2 ふたりの先生
3 作家がみた高峰秀子
4 高峰秀子のみた作家
5 作家と語る
6 私と書くこと
著者等紹介
高峰秀子[タカミネヒデコ]
1924年、函館生まれ。女優、エッセイスト。五歳の時、松竹映画「母」で子役デビュー。以降、「カルメン故郷に帰る」「二十四の瞳」「浮雲」「名もなく貧しく美しく」など、300本を超える映画に出演。『わたしの渡世日記』(日本エッセイスト・クラブ賞受賞)著書多数。夫は脚本家で映画監督の松山善三。2009年、作家・斎藤明美を養女に。2010年死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
あじ
20
「人間は誰でも、ただ、その人と同時代に生まれたこと、その人と同じ空の下で同じ空気を吸っているのだ、と思うだけで心の支えになる、というアラヒトガミを心に持っているにちがいない」名だたる文豪が犇めいていた時代、高峰さんは俳優として伴走していた。彼らと対等に渡り歩いたと言えば「そりゃあなた語弊ですよ」とビシッと指摘されそうだ。しかしお互い直に会って話をしたい、交流したいと思わせる人格が高峰さんに伴っていたからこそ、生涯に渡る交歓が文豪との間にあったのだと思う。それもごくごく狭く深い交友網が─。★4.5/52025/02/11
hitotak
6
高峰秀子が語る作家たち、逆に作家たちが見た高峰、作家との対談など。谷崎潤一郎と志賀直哉の文豪二人とは家族ぐるみの付き合いで、谷崎の美食家ぶりや『小僧の神様』への思い入れなどが高峰自身の達者な文章で語られる。子役時代は小学校も禄に通わず、ただ本をたくさん読んだことが勉強だったと書かれているが、それだけで作家たちにも引けを取らないエッセイを書き、大女優としても名を成した、その多才さには感心する。作家たちと渡り合える知性と魅力の持ち主だったことが、高峰の書く文章からもよく伝わってくる。2025/04/25
バーベナ
2
昭和を代表する女優と作家のおつきあい。なんて濃い人たちがひしめいていた時代なんだろう、そして、とても危険(いろんな誘惑や落とし穴)な。その時代を生き抜いたひとの言葉は、豊かに輝いている。三島由紀夫との対談なんて、おちゃめな一面がみえたり、とっても楽しい。谷崎潤一郎の美食家っぷりも面白いし、彼らのことももっと知りたくなった。2025/02/25