出版社内容情報
砂は語りはじめる。失われた大地の声を、人間の歌を、そして希望をーー21世紀の鬼才がおくる熊本地震を挟んで執筆された長編小説。
坂口 恭平[サカグチ キョウヘイ]
1978年、熊本県生まれ。建築家/作家。著書に『TOKYO 0円ハウス 0円生活』『独立国家のつくりかた』『徘徊タクシー』『幻年時代』など。16年『家族の哲学』で熊日文学賞を受賞。
内容説明
町はもう一度、必ず戻ってくる―熊本地震より半年、渾身の書き下ろし長編。
著者等紹介
坂口恭平[サカグチキョウヘイ]
1978年、熊本県生まれ。2001年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。作家、建築家、音楽家、画家。2004年、路上生活者の住居を収めた写真集『0円ハウス』を刊行。2008年、それを元にした『TOKYO 0円ハウス 0円生活』で文筆家デビュー。2011年、東日本大震災がきっかけとなり「新政府内閣総理大臣」に就任。2014年『幻年時代』で第35回熊日出版文化賞、2016年『家族の哲学』で第57回熊日文学賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
波多野七月
16
さらさらと、両手から砂がすべり落ちていくように。膨大なテキストとともに、この世界に埋め尽くされていく。鳥になり風になり石ころになり、ただ存在としてそこにある。ここにいるのに、ここにはいない。おそらくきっと、大多数の読者にとっては難解かもしれない。話の筋は掴みにくく、視点もめざましく変わっていく。まるで誰かの頭の中を無理やり覗き込んだ時のように、目眩にも似た感覚に陥ってゆく。やがて理解することを手放して、この物語の中へと飛び込んだ。自分自身の輪郭がぼやけてしまうような物語に、巡り会ってしまった事に驚愕する。2016/11/28
もも
14
つかみどころのない物語で、最後まで読んでも私には全貌が把握できませんでした。1ページ1ページ文字がぎっしり詰まっています。読むのには時間が要りましたが、不快感は全くありませんでした。視点もたくさん変わりますが、それも結構好きで……。つかみどころがないからこそ面白かったと、私はそう思いました。砂が語るのも不思議で好きです。でも、理解できたら良いなというのも本当の気持ちなので、また読みたいと思います。読んでいて不思議な感覚を味わうことができました。2017/03/18
Bartleby
12
これは小説かといえば紛れもなく小説だが語り手は絶えず姿を変える砂粒(たち)で、何をもの語っているのかはよく分からないがとにかく、この作品のもつ強度のすごさだけは確かだ。誰にも真似できない。楽しく読むものではなく時に苦行にすら感じられる。通読には向いていないかもしれない、ランダムにページを開いたところから読み始めたほうがむしろ、本作のすごさが分かると思う。2023/01/10
袖崎いたる
12
読者は文学作品にひとつの秩序を読み〈取れ/込め〉ないとき、作者か読者かの力量不足かセンス不持に悩む。この作品はどうか。簡単だが、難解だ。思い出されるのは「失敗していることを度外視すれば成功」という云い。固有名詞なき一般名詞にて織られていてリテラルに読めるが、直示的な語用をしていると思しき文章は、もはや見ることしか望めない。風景として。しかも見続けることに〈疲れる/憑れる〉ような。改行が全然ない文体は読みの示唆をくれてる。それと〝穴のあいた砂〟の表象。つまりこれは仮説。覚えたての言葉を使えば思弁的実在論的?2017/01/10
ksh
12
取り憑かれたような意識の濁流が言葉となって襲ってくる。それに身を任せて言葉を追っていくと体験したこともない世界に連れていかれる。一体どうやったらこんなものが書けるのだろうか。次々と意識と視点が交錯していく様を読むのは幻覚体験、変性意識体験を追体験するようだ。坂口恭平のなかの何がこんなものを書かせたのだろう。これを読むということは類希なる体験だと思う。なんなんだ、これは。2016/12/08