内容説明
アートは“希望”の灯火ではない。人々を結ぶ“絆”でもない。民主主義の太陽が生んだ「自由」と「個性」を掲げる美術教育と、資本主義の雨がもたらした増殖、拡大し続けるアートワールド、それらを通して、アートと私たちの関係を読み解く。『アーティスト症候群』から4年、「アート」の名の下にすべてが曖昧に受容される現在を、根底から見つめ、その欲望を洗い出す。
目次
第1章 アートがわからなくても当たり前(ピカソって本当にいいですか?;疎外される「わからない人」;アートの受容格差;「美術」はどこから来たのか)
第2章 図工の時間は楽しかったですか(芸術という「糸巻き」;日本の美術教育;夢見る大人と現実的な子ども;問い直される理想)
第3章 アートは底の抜けた器(液状化するアート;空想と現実の距離;村上隆の「父殺し」;アートの終わるところ)
著者等紹介
大野左紀子[オオノサキコ]
1959年、名古屋市生まれ。東京藝術大学美術学部彫刻科卒業。1983年より2002年まで美術作家活動を行う。現在、名古屋芸術大学、トライデントデザイン専門学校非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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kenitirokikuti
10
自分のTLに現れている、アンチ「ポルノ」論争の中で拾ったもの。著者は1959年生まれ。東京芸大卒(彫刻科)。02年に美術作家活動をやめる。1985年の男女雇用均等法の定着前の世代。「父の娘」と自分で書いている通り、そういう背景を持つひと。私は著者より15才ほど年下であるけれども、無意味に大学の数学科に進んで人生つまづいた口なので、揶揄とかは浮かばない。私は理科系ドロップアウトしたオタクだし宗教関係で蹉跌を踏んだので、…まぁ、特に言うことないです2018/09/27
龍國竣/リュウゴク
5
「アート」と呼ばれる明確な領域が見失われた後、「今こそアートが必要とされている」というふうにその存在意義を強調することで、アートそのものの立ち位置を不問に付している何とももどかしい現状を言い当てています。アートの延命力とは制度と市場の延命力にほかならないというのは、残酷な、しかし本質的な気づきです。日本における美術の制度化における天皇の重要性、昭和初期から続く大衆と美術の関係をめぐる議論、いかにして美術教育の場で自由や個性を重要視することになったのか歴史を紐解くなど、大変勉強になる一冊に仕上がっています。2020/06/17
チエコ
5
あんまり関係ないかもしれないけど、スーザン・ソンタグの『反解釈』を思い出した。2015/02/17
くれは
4
読後、なぜか『機械より人間らしくなれるか?』を思い出したので、読み返してみたらこんな一節を見つけました。“<コンピュータにはない人間固有の性質としての「独創性」を疑うチューリングの言葉を引用して>「自分がした『独創的な仕事』が、ただ教育によって自分の中にまかれた種が育っただけ、あるいはよく知られた一般則によっただけのものではないと確信出来る人がいるだろうか。」<中略:「人間らしさ」とは、自分が従うべき基準を自ら選び取ること、そしてその切実さである、という実存主義者の主張を述べる><コメントへ続く>2013/07/26
くさてる
4
昨今の様々な出来事を目にするたびに沸き起こる「アートってなに?」から始まって「そもそもアートの価値ってなに?」というような自分自身の疑問を解決したくて手に取った一冊。その答えが得られたわけではないですが(そもそも得られるようなものではないのでしょうが)、興味深い視点で勉強になりました。とくに、村上隆についての言説が分かりやすく面白かったです。自分がどうしてあの方面に反発を抱くのか、が明確に説明された気がしました。2013/03/20