内容説明
小説の散文をゆるやかに撓め、時に華麗に韻を踏み、不意に甘やかな口語の科白がとびかう、そしてついには詩を論ずる。この多様な文体を重ねる離れ業に、「君」は、ついてこれるか―。
著者等紹介
佐々木中[ササキアタル]
1973年青森県生。東京大学文学部卒業、同博士課程修了、博士(文学)。2010年『切りとれ、あの祈る手を』で一般読者による「紀伊國屋じんぶん大賞2010」を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Bartleby
15
見た目には晦渋で読んでみると不思議と心地いい文体はいつもの通り。そこにライトな会話文とパウル・ツェランについての論文、T.S.エリオットを意識した言葉などが挿し挟まれることで、それらが全体としてひとつのリズムを生み出しており、即興的な音楽を聴くように読むことができる。仕損じること、それでも、あるいはだからこそまた進もうとする姿を描くのはこれまでの作品とも共通してはいるが、今作では特にそれがストレートに表現されている。著者がその執筆活動を通して示してくれているのも、こうした一連の「書き損じ」の軌跡なのだろう2015/08/13
ハチアカデミー
11
C 「行こう、君と一緒なら」から始まる独白は、完璧に書くことと・完璧に読むことの不可能性を、また己の中の「他者」を巡る。己がどう書くか、どう読むかー 文字との接し方は、人との接し方にも似る。晰子と名付けられた21歳の女と語り手の対話、生活は、とどのつまり佐々木中の中の他者、つまりは自分という世界。小説の可能性を探る試みであり、現在受容されている「文学」への挑戦である意気込みはかう。が、良くも悪くも文体、作品の型が固まりつつある。誰もがベケットに、古井由吉になれるわけではない。乗り越えることは不可能なのか!2012/07/28
yumiha
7
川上未映子の初期の作品のように、韻文として言葉の響きやらイメージを繋げて読めばいい作品と思った。そして、そこから立ち上がるもの、立ち昇ってくるものを掴み取ればよい…って、よくないやん、何も確かなものは掴めへんやん(>_<)ガリガリ君梨味好きで「ちやほやしろー」とほざく晰子だけは、リアリティがあった。明晰から名づけた晰子だらふか?名すら知らなかったパウル・ツエランの詩論を晰子に展開させたのだから。2012/10/19
なっぢ@断捨離実行中
6
贅を凝らした文章を楽しむ小説かと思いきや意外にも物語の筋がしっかりしていて楽しく読めてしまった。が、そこは佐々木中。さすがに一筋縄とはいかない。ペダンチックな文体芸から文化系女子との甘い同棲生活がはじまったかと思いきやいきなりツェラン論に突入。ブーバーやラカンに飛び火しつつ、論の破綻と妊娠中絶が同時進行しながら最後は10年先に飛びなんとなく他者論的なところに着地させる若干安易な感じも受けながらも勢いだけで読ませてしまういつもの佐々木中だった。って、どっちやねん。2017/06/18
世界から忘れられた男
6
二時間かけず読み切った。佐々木中の「あの」スタイル、硬過ぎるほど密度の濃い表現がだくだく流れていくわけだけど、読み辛さはなかった。この作品、地の文と会話文が区切られておらず、突然気の抜けたガリガリ君の話とかが現れて目の動きがフッと緩やかになることがままあった。内容は、冒頭で晰子の彼氏(一応こう言っとく)が夏の話をフックに語る「君」を巡る話が物語半ば過ぎに登場する晰子のツェラン論によって反復されて……といった感じ。あらゆる読み方ができるだろうと思けど、とりあえず言いたいのは、晰子がほんとに可愛いということ。2012/08/16