エッセンス・オブ・久坂葉子

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ B6判/ページ数 253p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784309018607
  • NDC分類 918.68
  • Cコード C0093

内容説明

彼女が好きだったの。ブラームスの四番とフランチェスカッティのヴァイオリン、カフェ、手紙を書くこと、お洒落、ゴールデン・バットをふかすこと、そして小説を書くこと―。19歳の若さで芥川賞候補作家になり、21歳の若さで自殺した伝説の作家が残したきらめく作品の数々。

目次

1 久坂葉子の誕生と死亡―エッセイ他(久坂葉子の誕生と死亡;私 ほか)
2 スケッチブックからのエスキス―小説(月の夜;愛撫 ほか)
3 幾度目かの最期―小説、手紙、日記(幾度目かの最期;久坂葉子の手紙(北村英三宛) ほか)
4 わたしはこいをした―詩(りんご;れもん ほか)

著者等紹介

久坂葉子[クサカヨウコ]
1931‐1952。1931年(昭和6)3月27日、父・川崎芳熊、母・久子の次女として神戸市に生まれる。父方の曾祖父は、川崎造船(のちの川崎重工業)の創立者、母方の曾祖父は、旧加賀百万石・前田斉泰公爵という名門の生まれであった。本名・川崎澄子。諏訪山尋常小学校(現・こうべ小学校)、神戸山手高等女学校(現・神戸山手女子中学・高等学校)を経て、相愛女専(現・相愛大学)音楽部ピアノ科中退。1949年(昭和24)、友人の紹介で小説「港町風景」を持ち、六甲在住の島尾敏雄を訪ねる。氏の紹介で同人誌『VIKING』の同人となり、以後、富士正晴に師事する。久坂葉子のペンネームで、『VIKING』誌に小説、詩などを次々に発表。1950年、『VIKING』誌に発表した「落ちて行く世界」が「ドミノのお告げ」と改題され、雑誌『作品』に掲載される。これが第23回(上半期)芥川賞候補となる。神戸の喫茶店でのアルバイト、化粧品会社の広告部嘱託、新日本放送(NJB)嘱託などを経験し、現代演劇研究所創立にも参加しながら、小説や詩だけでなく、新聞にコメントを書いたり、朗読用の脚色をしたり、童話劇を書いたりと広く活動する。1952年(昭和27)12月31日午後9時45分、阪急・六甲駅で三宮発梅田行特急電車に飛び込み、その生涯を終える。その日に「幾度目かの最期」を書き上げての死であった

早川茉莉[ハヤカワマリ]
出版社勤務を経てフリーの編集者(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

レイナ

5
苦しくなるほど真っ直ぐにしか生きられなかった人。2013/07/11

樹海迷路

2
19歳で芥川賞候補となり、21歳の若さで自殺・・・。生まれた時代が早すぎた。生きることを急ぎすぎた。そんな風に思える。 曽野綾子さんがかって「私にとって、文学上の嫉妬という言葉であらわさねばならぬ才能にぶつかったのは、久坂葉子ただひとりだったのである」と評したという。本書に収録された作品も瑞々しく、そして鮮烈な印象を受ける。他の作品も読みたいと思う。2013/02/07

rinakko

2
稀な天分に恵まれていながら、その才能が本当に大輪の花として咲き誇れる時期を待たずして、早咲きをしてしまったような狂おしさ、或いは無理やり開かされた傷んだ蕾のような、ひりりとした痛み。2008/05/22

あっちゃんのパパ

1
評価=2:夭折の女性作家の作品集。圧巻は「幾度目かの最期」。最後まで読み通すには辛すぎる内容。彼女の孤独さが苦しい。2018/07/08

amanon

1
ひょんなことから久坂葉子という作家の存在を知り、近くの図書館にあるこの書をとりあえず手に取ることに。既成の社会通念にとらわれない女性の本音を赤裸々に綴ったという点においては初期の倉橋由美子に通ずるものがあるなという気もしたが、いかんせんまだまだ未分化な点が見受けられる。せめてもう一年でも生きていれば、とんでもない化け方をしていたかもしれない。また遺作である「幾度目かの最後」はつい高野悦子の『二十歳の原点』を連想してしまった。2009/06/04

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/493497
  • ご注意事項