出版社内容情報
「魏志倭人伝」には、弥生時代後期の倭国の不思議な状況が記載されている。二世紀、長い間男王が統治していたが、争いが続き、女王・卑弥呼を共立することで、混乱が収まったと言う。さらに、卑弥呼亡きあと男王が立ったが、国中服さず、千余人が死んだ。男王が立つたびに、大混乱が起きていたのだ。そこで女王・トヨ(壱与、台与)を担ぎ上げ、平和になった・・・・。これが、ヤマト建国前後の話だから、興味は尽きない。なぜ男王が立つと混乱と戦乱が起き、女王がこれを鎮めることができたのか、そのナゾもさることながら、この直後にヤマトが建国されると、なぜか男王を立て、三百年以上に渡って、男王の時代が続いた。ヤマト政権は女王の「平和をもたらす力」を捨て、男王を選択したのだ。ヤマト政権の選択はまちがっていなかったようで、古墳時代を通じて、ヤマト政権はほぼ安定を保つことができた。問題は、六世紀後半から七世紀にかけて、たてつづけに女王が林立したことだ。蘇我氏全盛期に、推古天皇、皇極(斉明)天皇、持統天皇が玉座を獲得している。なぜ、男王の時代から、女帝の時代が到来し、また男王の時代にもどっていったのだろう。
これまで、女帝は中継ぎと考えられてきた。しかし、「中継ぎ」では説明のつかない多くの謎がある。皇位継承候補の男性が大勢いたにもかかわらず、あえて、女帝が求められたのだ。また、持統天皇の場合、『日本書紀』が神話を構築してまで、持統天皇の即位の正当性を強調している。いったいここで、何が起きていたのだろう。
ヤマト建国直前は女王の時代。ヤマト建国後の古墳時代は男王の時代、飛鳥時代から奈良時代は、男王と女帝がめまぐるしく入れ替わる時代だった。この経緯を、どう説明すれば良いだろう。
ヒントは意外な場所にあった。五世紀末、第二十五代武烈天皇は酒池肉林に明け暮れ、王統は断絶した。そこでヤマト政権は、タニハの仲哀天皇五世の孫・倭彦王を探し出したが、本人は身の危険を感じて逃げてしまった。そこで、越(北陸)の応神天皇五世の孫の男大迹王に白羽の矢が立った。こうして即位したのが継体天皇だ。
この場面、重要な秘密が隠されている。倭彦王が仲哀天皇の子の応神天皇の末裔なら、「仲哀天皇五世の孫」ではなく「応神天皇四世の孫」と記されていたはずだ。ということは、倭彦王は応神天皇の兄弟の末裔ということになる。そして、他の拙著の中で述べてきたように、仲哀天皇の皇后の神功皇后は、仲哀天皇亡きあと、住吉大神(武内宿禰)と結ばれ、応神が生まれていたことが分かっている。つまり、五世紀末の段階で王位継承候補に選ばれたのは、「仲哀天皇(男王)の末裔」ではなく、「神功皇后(女王)」の末裔であり、神功皇后から生まれた子なら、父親がだれでも関係なかったわけである。神功皇后こそ国母[こくも]であり、のちの時代の女帝たちも、「政権交替」のたびに担ぎ上げられた国母だった可能性が高い。
王家の隠された真実に迫る。
目次
【目次】
目次
第一章 国母・神功皇后と邪馬台国の台与
・継体天皇が応神五世の孫だった本当の意味
・鍵を握っていたのは仲哀天皇五世の孫の倭彦王
・住吉大社の不思議な伝承
・応神天皇は仲哀天皇の子ではない
・大王(天皇)になる資格はただひとつ「神功皇后の末裔」
・なぜ神功皇后が国母なのか
・神功皇后は邪馬台国の台与
・神功皇后摂政紀に「魏志倭人伝」の引用文
・ヤマト建国の考古学をそのままなぞっていたのは神功皇后だけ
・なぜ初代王と第十五代応神天皇が同時代人なのか
・『日本書紀』のトリックは「タラシの王家」
・なぜ台与は歴史からフェイドアウトしたのか
・『日本書紀』は台与が邪魔だった
・ヤマトの王家は国母から始まるという不文律
第二章 推古天皇は神功皇后の焼き直し?
・神功皇后の穴門豊浦宮は海の拠点
・内陸部でなぜ豊浦宮?
・推古天皇の側近は蘇我馬子
・神功皇后と蘇我氏の祖・武内宿禰の親密度
・推古天皇は蘇我系ではない?
・真相を暴露したのは『元興寺伽藍縁起?流記資財帳』
・姿を現した物部系の女傑
・蘇我氏と物部氏はなぜ争ったのか
・『日本書紀』も認めた蘇我氏と物部氏の本当の関係
・ヒントは物部氏と「穴穂部」
・穴穂部間人皇女と推古天皇
・小姉君は物部氏
・推古天皇は物部系の国母で蘇我系の王家の始祖
・中央集権国家づくりのための大同団結が成し遂げられた
第三章 奪いあいに発展した国母・皇極(斉明)
・律令整備のための三つの王家の妥協
・一度潰された尾張系王家の復活?
・皇極天皇の複雑な立場
・なぜ舒明天皇に嫁ぐ前に蘇我系の高向王と結ばれたのか
・『日本書紀』は何を隠しているのか
・乙巳の変(六四五)と皇極天皇の嘆き
・中大兄皇子はなぜ改革潰しに走ったのか
・蘇我系・高向王の正体は蘇我入鹿?
・蘇我入鹿の子を王に立てるための皇極天皇
・皇極天皇は国母になろうとした
・大海人皇子の正体は高向王の子の漢皇子
・蘇我系王家の誕生を阻止した中臣(藤原)鎌足?
・中大兄皇子が母をふたたび担ぎ上げた理由
・斉明天皇は中大兄皇子のための国母
・斉明女帝を奪った者が天下を取
内容説明
なぜヤマトの建国に女王が登場しないのか?邪馬台国の卑弥呼を潰しにいった神功皇后の正体とは?これまで「中継ぎ」と考えられていた女王の、「中継ぎ」では説明のつかない多くの謎に迫る!
目次
第一章 国母・神功皇后と邪馬台国の台与(なぜヤマト建国の歴史に女王が登場しないのか;ヤマト黎明期を四つの時代に分解した『日本書紀』 ほか)
第二章 推古天皇は神功皇后の焼き直し?(なぜ女王は無視されたのか;なぜ男王の時代が到来したのか ほか)
第三章 奪い合いに発展した国母・皇極(斉明)(古代人は女性の霊力を知っていた?;謎の多い女帝・皇極 ほか)
第四章 処女懐妊した持統天皇(持統天皇がすべてを破壊した;『日本書紀』の不気味な記事 ほか)
著者等紹介
関裕二[セキユウジ]
1959年、千葉県柏市生まれ。歴史作家、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。仏教美術に魅了され奈良に通いつめ、独学で古代史を学ぶ。以後、古代をテーマに精力的に執筆活動を行っている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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