出版社内容情報
「天皇と三島。清水は二人の紛れもない師であった。」(松岡正剛)
「この時代が見失っている原型を浮かびあがらせる」(保阪正康)
和泉式部を中心とする平安朝文学の研究者で、三島由紀夫を見出したことで知られる清水文雄の戦中日記。
大学ノートに記された、昭和十二年より昭和二十年八月十五日までの「日本文学の会日誌」(昭和十三年三月~十六年二月)「雑記帳」「碌々斎日記」(昭和十八年七月二十九日以降の名称)の全文を収録する。
本日記には、三島由紀夫『花ざかりの森』が掲載されたことで知られる雑誌『文藝文化』(齋藤清衛・蓮田善明・栗山理一・池田勉など)が生まれてくる過程や、文藝文化グループ以外の人々(伊東静雄・保田與重郎など)と清水の交流がわかるなど、戦時期文学運動の実態が綴られるほか、皇太子(現今上天皇)を中心とする皇族教育起草案(国文教科書編纂)の策定過程、今まで知られていなかった、三島以外との文学的交流―戦時下の恋歌鑑賞、連歌、和歌の贈答など―は、「戦時下のみやび」を伝えて余りある。戦時下、教師として研究者として、国家や天皇をどう考えていたのか。初めて明かされる貴重な記録。
はしがき
凡例
日本文学の会日誌
昭和十三年(一九三八)三十五歳
昭和十五年(一九四〇)三十七歳
昭和十六年(一九四一)三十八歳
戦中日記(その1)
昭和十二年~十五年(一九三七~四〇)三十四歳~三十七歳
昭和十八年(一九四三)四十歳
昭和十九年二月・六月(一九四四)四十一歳
昭和十九年七月
昭和十九年八月
戦中日記(その2)
昭和十九年九月(一九四四)
昭和十九年十月
昭和十九年十一月・十二月
昭和二十年一月(一九四五)四十二歳
昭和二十年二月・三月
昭和二十年四月~八月
清水家略系図
児玉家略系図
山廣家略系図
清水文雄略年譜
清水文雄著書・論文等目録
解説 前田雅之
あとがき
人名索引
清水 文雄[シミズ フミオ]
1903(明治36)年6月6日~1998(平成10)年2月4日。国文学者。和泉式部を中心とする平安朝文学の研究者。三島由紀夫を見出したことで知られる。著書に、『王朝女流文学史』、『衣通姫の流』、『和泉式部研究』、『和泉式部歌集の研究』など。また三島由紀夫との交流を示すものとして、『師・清水文雄への手紙』(新潮社、2003年)がある。
清水 明雄[シミズ アキオ]
1946(昭和21)年7月、広島県に生まれる。1977(昭和52)年3月、関西大学大学院文学研究科国文学専攻修了。1977(昭和52)年4月~2007(平成19)年3月、広島県内公立高校教諭勤務、祇園北高校で定年退職。
前田 雅之[マエダ マサユキ]
1954年生まれ。明星大学教授。中古・中世文学(説話・和歌・注釈)専攻。著書に『今昔物語集の世界構想』(笠間書院、1994年)、『古典的思考』(笠間書院、2011年)などがある。
内容説明
三島由紀夫『花ざかりの森』が掲載されたことで知られる雑誌『文藝文化』(齋藤清衛・蓮田善明・栗山理一・池田勉など)が生まれてくる過程や、文藝文化グループ以外の人々(伊東静雄・保田與重郎など)と清水の交流がわかるなど、戦時期文学運動の実態が綴られるほか、皇太子(現今上天皇)を中心とする皇族教育起草案(国文教科書編纂)の策定過程、今まで知られていなかった、三島以外との文学的交流―戦時下の恋歌鑑賞、連歌、和歌の贈答など―、「戦時下のみやび」を伝えて余りある。戦時下、教師として研究者として、国家や天皇をどう考えていたのか。初めて明かされる貴重な記録。
目次
日本文学の会日誌(昭和十三年(一九三八)三十五歳
昭和十五年(一九四〇)三十七歳
昭和十六年(一九四一)三十八歳)
戦中日記(その1)(昭和十二年~十五年(一九三七~四〇)三十四歳~三十七歳
昭和十八年(一九四三)四十歳
昭和十九年二月・六月(一九四四)四十一歳 ほか)
戦中日記(その2)(昭和十九年九月(一九四四)
昭和十九年十月
昭和十九年十一月・十二月 ほか)
著者等紹介
清水文雄[シミズフミオ]
1903(明治36)年6月6日~1998(平成10)年2月4日。国文学者。和泉式部を中心とする平安朝文学の研究者。三島由紀夫を見出したことで知られる
清水明雄[シミズアキオ]
1946(昭和21)年7月、広島県に生まれる。1977(昭和52)年3月、関西大学大学院文学研究科国文学専攻修了。1977(昭和52)年4月~2007(平成19)年3月、広島県内公立高校教諭勤務、祇園北高校で定年退職
前田雅之[マエダマサユキ]
1954年生まれ。明星大学教授。中古・中世文学(説話・和歌・注釈)専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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