地震と文学―災厄と共に生きていくための文学史

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地震と文学―災厄と共に生きていくための文学史

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  • サイズ B6判/ページ数 355p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784305708106
  • NDC分類 910.26
  • Cコード C0095

出版社内容情報

災厄と共に生きていくために、文学をどう読むのか。

災厄とはそもそも何なのか。災厄の前に現れ出る自己とは何か。災厄そのものの淵源を大きく問いつつ、村上春樹、小田実等の震災文学から根源的に迫ろうとする。また、災厄の痕跡として、関東大震災直下の連載小説を読み解きながら、現在を照らす。

現代における「災厄の起源」に思考の照準を当て、災厄と共に生きてゆくための言葉をもう一度織り直し、自らの新しい言葉を獲得してゆこうとする、野心的な書。



【災厄がもたらした人間と文化社会の変容という因果論的な問題構成を一端留保し、災厄を災厄としてあらしめる諸力の構成、あるいは、「災厄」の顕現と同時に出来する、それをそれとして把握する「わたし」の存在や、そうした複数の「わたし」の関わりについて、その根源から考えてみることが重要なのだ。それは取りも直さず、災厄の境界と帰属、災厄と「関わる」、あるいは「関わらない」、「わたし」と「わたしたち」の自明性を問うことにも繋がるはずである。】…序章「「災厄」を引き起こした「わたし」とは何者か」より

はじめに



第一部 災厄の起源―文学を通じて考える意味と可能性



序 章 「災厄」を引き起こした「わたし」とは何者か

災厄を「待つ」ということ/「災厄」をどの視角から問うのか/なぜ今、「地震と文学」なのか



第一章 共同性―宙吊りの「わたし」と分有(パルタージュ)の思考―

生と死の偶然性/小田実による被災死者の仮構/この世に生きる死者/ナンシーと「分有」の思考/存在の複数性を開示する震災/「無為」の共同体/小田実『われ=われの哲学』/「深い音」が響いてくる場所



第二章 表象―鏡像としての「震災」―

地震に揺さぶられるということ/村上春樹の「震災小説」が提示するもの/ジジェクによる補助線/災厄の表象と立ち上がる「主体」/震災表象とボランティア・田中康夫のケース/焼け跡をゆく「私」/ラカンの語る「主体」の場所/震災を引き起こした「私」/「われわれ」という幻影の発生/「主体」化の危険



第三章 主権―例外状態と災厄の恒常性―

二〇一一年三月、首相官邸/「撤退問題」の本質/「国民」とは誰か/原発事故における「自己」と「全体知」の不在/恒常的な偶然性/「例外状態」とは何か/権力承認の作法としての「想定外」/政治家の思考停止と「主権」の発動/政治的決定の行われる場所



第二部 災厄の痕跡―現在を照らす関東大震災直下の連載小説



第一章 「震災と文学」から直下の連載小説へ

「震災と文学」に関する初期研究/「文学」領域を侵犯する「震災」/初期報道と「震災」像の形成/混沌の中で「発見」される「文学」/宙吊りになった長編連載小説/言説の断裂を問う手掛かりとして



第二章 中村武羅夫「群盲」の亀裂―ある造船争議の結末―

長編連載小説の「断面」とは/菊池寛の「模倣者」としての小説/ワシントン会議と労働争議/インタラクティブな制作過程/関東大震災の発生と「群盲」/妄動する群集の膨張/「鮮人」虐殺という遠景



第三章 震災モラトリアム(支払延期令)直下の商魂―村上浪六「時代相」の実験―

忘却された人気作家/「絶筆宣言」とメディア批評の企み/連載継続の「方法」としてのメタフィクション/実験的経済小説への転身/モラトリアム直下の金融市場/湧き上がる「野心」と「商魂」/「時代」を追うテクストとして



第四章 菊池寛と婦人雑誌の被災―舞台焼失の後始末―

震災発生による「文芸」基盤の露呈/「天譴説」の変奏/登場人物の変心を促す震災/連載継続のガイドライン/菊池寛の「冒険」/主題化される二次災害/「無形の損害」への照明



第五章 震災と新聞小説挿絵―竹久夢二の「眼」―

継続する「震災」/竹久夢二の震災スケッチ/青年画家挫折物語の構想/関係悪化とまなざしの変質/他者の視線から逃亡する物語/戒厳令下の総員監視体制/瀰漫する排他的傾向/「告別」としての結末/「自警団」・「遊び」/「震災」と視覚革命/変形する東京/「震災」の圧力を証言する新聞小説挿絵/伊東深水の動揺



第六章 直下の連載小説から「文学の震災」へ

「特定」可能な多数者としてのマス/職業作家の自己喪失/「私小説」論争の展開と背景/新聞連載小説の変質/台頭する「読者」



註・初出一覧・主要参考文献



あとがき

前田 潤[マエダ ジュン]
1966年、東京生まれ。早稲田大学卒業。立教大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。専攻は日本近代文学。
現在、聖学院大学、予備校等の兼任講師。主要論文に、「捕獲・介入・現前―漱石のいない写真―」(『日本近代文学』第73集、2005年10月)、「仏教─「孤独地獄」に始まる自己形象化の試み─」(『国文学解釈と鑑賞』別冊『芥川龍之介 その知的空間』、至文堂、2004年1月)などがある。

内容説明

災厄とはそもそも何なのか。災厄の前に現れ出る自己とは何か。災厄そのものの淵源を大きく問いつつ、村上春樹、小田実等の震災文学から根源的に迫ろうとする。また、災厄の痕跡として、関東大震災直下の連載小説を読み解きながら、現在を照らしてゆく。災厄を文学から思考する野心的な書。

目次

第1部 災厄の起源―文学を通じて考える意味と可能性(「災厄」を引き起こした「わたし」とは何者か;共同性―宙吊りの「わたし」と分有の思考;表象―鏡像としての「震災」;主権―例外状態と災厄の恒常性)
第2部 災厄の痕跡―現在を照らす関東大震災直下の連載小説(「震災と文学」から直下の連載小説へ;中村武羅夫「群盲」の亀裂―ある造船争議の結末;震災モラトリアム(支払延期令)直下の商魂―村上浪六「時代相」の実験
菊池寛と婦人雑誌の被災―舞台焼失の後始末
震災と新聞小説挿絵―竹久夢二の「眼」
直下の連載小説から「文学の震災」へ)

著者等紹介

前田潤[マエダジュン]
1966年、東京生まれ。早稲田大学卒業。立教大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。専攻は日本近代文学。現在、聖学院大学、予備校等の兼任講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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B.J.

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災厄と共に生きていくために文学をどう読むのか2024/03/13

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