目次
玉だすき畝傍の山の
楽浪の滋賀の唐崎
やすみしし我が大君
くしろつく手節の崎に
やすみしし我が大君
東の野には炎
大君は神にしませば
やすみしし我が大君
玉藻刈る敏馬を過ぎて
淡路の野島が崎の〔ほか〕
著者等紹介
高松寿夫[タカマツヒサオ]
1966年長野県上田市生。早稲田大学大学院中退。現在、早稲田大学教授。博士(文学)(早稲田大学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ヴェネツィア
332
「東の野にかぎろひのたつ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」(このテクストでは「野には炎たつ見えて」)ー中学3年生の時の国語の教科書にあった、この歌が私にとっての人麻呂との出会いであった。なんと雄大な景であることかとの印象は今も変わらない。本書では12首の長歌を収めている。巻1-29「近江荒都歌」や同38「吉野賛歌」などを久しぶりに読むと、長歌の持つ格調とリズムが漢詩文にも通じるものがあるようで、思わず朗誦したくなる。その一方で、これまで愛唱していた巻2-207の挽歌「泣血哀働歌」に対しては、⇒ 2022/09/29
クラムボン
13
柿本人麻呂との出会いが梅原猛や井沢元彦の著作だった為に、未だに彼らの持つ強烈な人麻呂のイメージが、幻影として私の心の裡に棲みついている。人麻呂の活躍したのは持統天皇の御世で690年頃からの約10年間。宮廷歌人として公式の行事で歌を詠んでいる。天皇の御世を寿ぐ歌、草壁皇子や高市皇子などの死を悼んだ挽歌、天智朝の都であった近江大津京の荒廃を嘆いた歌など。その天智朝の宮廷歌人であった額田王の歌ぶりと比べると、呪術も言霊の力も信じていないようで、国詠みの歌としては弱い。何やらドライに感じてしまう。2024/03/22
はちめ
8
読み直してみると、白川静が前期万葉論で指摘していた叙景歌の解釈のあり方について記述があるのに気がついた。叙景歌として解釈するだけでは十分ではないという視点が現代のアカデミズムにもあることが分かってほっとした。 今回心に残ったのは、「葦原の瑞穂の国は言挙げしない」ということ。例外的に相手を誉めるときには言挙げするけど、それ以外は言挙げしないということがこの国の根源的なあり方だと思う。2019/10/16
糸くず
6
柿本人麻呂は持統天皇の時代に活躍した歌人である。つまり、彼は壬申の乱の戦中戦後世代にあたる人だった。ゆえに、「古代的呪術の世界から覚醒していた」(佐佐木幸綱)、いや、そうせざるを得なかった。天智天皇が築いた大津宮の荒廃、天智・天武が推し進めた律令体制。神頼みでは解決できない現実と向き合うためには、呪術の世界から一歩外に出て考えることが必要不可欠だった。天皇即位の礼に際して皇居の上空に現れた虹を見てはしゃぐような呪術的感性から距離を置くにはどうすればよいか。「古代人」人麻呂の問題意識はそこにあったのだろう。2019/10/30
はちめ
4
本書だけを読めば柿本人麿呂は優れた宮廷歌人で不幸にして旅の途中に命を落としたということだけで終わる。要するにそういうことなんだろうか?2014/02/16
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