内容説明
過剰忖度社会への小さな違和感を述べたい…。反骨のコラムニストが日本の5年間を総括!
目次
2015 平成二十七年 誰も知らない新国立競技場の責任者(スクランブル交差点を突破せよ;誰がための新国立競技場 ほか)
2016 平成二十八年 そういえばトランプも謝らない(オリンピックの予算を蒸し返す罪;甘利といえばあんまりだった民主党 ほか)
2017 平成二十九年 モリカケ問題ライジング(「テロリストはみんなそう言うんだよw」;教育ニ関スル戯言 ほか)
2018 平成三十年 この公式文書は突然消滅する(文学として味わう森友文書;みんながなんとなく麻生さんに甘いのは ほか)
2019 平成三十一年/令和元年 御苑の桜に罪はない(我らの望みは憎悪の共有;誰かを落とすための一票だってある ほか)
著者等紹介
小田嶋隆[オダジマタカシ]
1956年生まれ。東京・赤羽出身。80年早稲田大学卒業。食品メーカー勤務などを経て、文筆業を開始(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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こーた
238
ウイルスの蔓延するなか、部屋に籠もってこの国の五年間を振り返る。疑惑が浮上しては消え、なのに登場人物はかわらず、背景にはずっとオリンピックがあって、おなじような出来事を繰り返し見させられふりまわされているうちに、あらゆることがゆるやかに衰退し破壊される。権力は腐敗し、官僚は忖度し、メディアは追随し、わたしたちはそれらすべてを許容しつづけてきた。ひとつ読んでは落胆し、ときに憤り、あるいは絶望し、その絶望していることにまた絶望する。この国の空気は、ずっとかわっていない。いまの騒動は終りの始まりなのだ。いや、⇒2020/04/18
もりくに
61
文字通りの「警句」。2015年からの5年間の「空気の研究」。私達はあまりによく似た事件の「再起動」の繰り返しに慣らされて、「感覚」を麻痺させられてきた、と。収録文は編集者の山中浩之さんが選んだ。テーマとしては、安倍政権の体質についてと五輪関係のゴタゴタ(最近の「超」ドタバタは含まれない)が大半。小田嶋さんは当初ずいぶん「理屈っぽい」原稿ばかりと思ったが、政権と五輪の細かいあれこれを、それこそ「空気」のように忘れていることに気付かされた、と。別の言い方をすれば、自分達がいかに「狂って」いたかを、知った、と。2021/04/13
けんとまん1007
45
まさに、この5年間は、この国が衰退していると思っているのだが、それを裏付けるものだと感じた。とにかく、言葉というものが軽んじられている一言に尽きると思う。言葉が軽く、しかも、言いっぱなしで簡単にひっくり返るし、素直に答えようとしないではぐらかす。と思えば、とんでもない点にフォーカスして攻撃する・・・。言葉は、文章にも連なるもの。それは、誰も責任を取ろうとしない、あるいは、責任という言葉の意味自体を理解していないのかも。2020/06/07
イエローバード
14
2015年から2019年まで、つまり東京五輪からモリカケ、桜を見る会などの世相を鋭く斬ったオダジマ氏のコラム集。めちゃくちゃタイムリーである。なぜPCR検査が受けられないのか、なぜ布マスク配布予算がいっきに三分の一以下になったのか。その答えは書かれていないが、読めば自分でたどり着く。アハハと笑ったり、ウンウンとうなずいたり、カッカしたりと、人前では読むのは危険。だから「まさに」「いわば」ステイホーム中に読むのにぴったりです。2020/05/04
ponnnakano
12
たった5年の間にいろいろなことが(似たようなパターンで)起きていたのに、それがあまりにも次から次に起きるので覚えてられなかったんだろう、俺は。とこの本を読んで思った。リアルタイムでも読んでいるが、しばらく経って読み直すことの効用はこういうことかも。小田嶋さんの言うことはいちいち腑に落ちて溜飲が下がる思いはするが、世の中は変わらないということに徒労感を感じるのが残念です。2020/11/18