著者等紹介
原民喜[ハラタミキ]
詩人、小説家。明治38年(1905)11月15日、広島市生まれ。家業は陸海軍・官庁用達。大正12年(1923)広島高等師範学校附属中学校四年を修了。13年4月慶応義塾大学文学部予科に入学。昭和4年(1929)同大学英文科に進み、7年3月卒業。詩の同人雑誌をつくる。短編小説も書き始め、左翼運動にも加わる。11年以降、『三田文学』に詩、短編小説をたびたび発表するようになる。17年千葉県立船橋中学校の英語教師。19年朝日映画社嘱託(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Ayumi Katayama
23
原民喜さんの名前を知ったのはいつだったろう。30年前にはなろうか。遠藤周作さんが書かれた「原民喜のこと」という随筆はいまでも記憶に残る。ある日、二人で並んで歩いていたら、ふと横に原さんがいない。振り返ると驚愕の表情で立ち竦んでいた。路面電車の架線と擦れたときに散った火花を原爆と重ね合わせた。広島に原子爆弾が投下されたその時、原民喜さんは広島にいた。奇跡的に命は助かったものの、隣近所親類縁者の死者は果てしない。1945年8月の広島。それは、人がはじめて人に向けて核兵器を放った場所。2019/08/28
二戸・カルピンチョ
22
3月13日は花幻忌ということで原民喜の命日です。今回原民喜を読んだのはそれとはあまり関係はありませんが。ああ、春のいい日を最期に選んだのだなぁ。斜に構えた角度からしか世界を見ることができなかった原を、原爆はその顔を両手で包みぐいと正面を向かせ、人をその死を書かせて生き長らえさせてくれた。2023/03/11
みーなんきー
14
本当はこの本そのものでなくコミック版で読みましたが、登録されていないのでこちらで。広島の実家に帰り、その後被爆し、その後という風にいつの時代にどんな空気感だったのかを赤裸々な描写で表現している。戦争中家族の様子や、出戻りだった自分の立場の無さ、長兄のイライラ、そして死後その人について本当の姿が見えてきた、という様な。著者は、この被曝の事実を書き残しておかなければ、と筆を進めた様である2023/08/30
香子
2
フィクションなのかノンフィクションなのか、曖昧なままに読み進める。筆舌しがたい惨状を言葉にするエネルギーにただただ脱帽する。そこまでして伝えたいものがあるということを、我々はやはり知らなくてはならない。カタカナでしか記せなかった惨状に、戦争の、原子爆弾の恐ろしさを感じずにはいられなかった。終戦記念日までに読むことができてよかった。2013/08/13
mimm
1
広島での被爆体験の小説化。美しい文章がオブラートとなって、惨禍を覆っていても尚、立ち上る恐ろしさ。それ以前までの生活の小説もあり、広島は大丈夫の空気から一転した世界がまた辛いです。生家は軍の御用達の生業で、戦争で食べてきた皮肉さも、小説の形態を借りてますが、余すことなく書かれています。その視点も貴重と思える一冊でした。エッセイの最後の「平和への意志」は、忘れてはいけない言葉だと思います。平和の維持って、結構大変なことかも。2015/08/12