内容説明
戦後の日本で歌手、女優として活躍した宮城まり子は、なぜ「ねむの木学園」という家庭をもたず、身体機能に、知恵に障害をもつ子どもたちのための施設と学校をつくったのか―。「肢体不自由児養護施設」という名称も法律も何もない時代、彼女は、多くの人たちから受けた知恵と勇気に支えられながら、国を動かし、「ねむの木学園」を創設した。宮城は、「ダメな子なんか一人もいない」といい、教育とは「生きていくお手伝い」という。素朴ともいえるこうした言葉は、彼女のこれまでの“戦仕度の日々”から生まれた厳しくもやさしさに満ちた、子どもたちの幸せを心から願う愛の言葉だった。「ねむの木学園」は、単に特別支援教育という領域だけに止まらず「教育とは何か」という問いに、大きな示唆を与えてくれる。人生のすべてを子どもたちに捧げた宮城まり子―初の本格評伝。
目次
第1部 宮城まり子とねむの木学園のあゆみ(宮城まり子の生い立ち;学園創設を決意させたこと;日本初の「肢体不自由児養護施設」の誕生;世界へのアピール―映画制作とテレソン;学校法人ねむの木学園ねむの木養護学校の併設;さまざまな教育実践;肢体不自由児養護施設から肢体不自由児療養護施設へ;「ねむの木村」の誕生)
第2部 宮城まり子の子ども観・教育観(子どもの観方;「お手伝い」としての教育;「教師」とは何か;開かれた学校・ねむの木学園)
著者等紹介
渡邊弘[ワタナベヒロシ]
1955年栃木県生まれ。慶應義塾大学卒。同大学大学院社会学研究科教育学専攻修士課程修了。82年同大学大学院社会学研究科教育学専攻博士課程中退。(博士)教育学。作新学院女子短期大学部助教授、慶應義塾大学文学部非常勤講師、宇都宮大学教育学部教授(学部長・研究科長、附属小学校長兼務)、作新学院大学人間文化学部教授(学部長)などを経て、2017年作新学院大学学長・作新学院大学女子短期大学部学長。20年学校法人ねむの木学園理事。1994年国民学術協会賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
げんさん
おかぴ
jouta h.