内容説明
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。我は聖霊を信ず―。キリスト者たちが時代を超えて今なお告白し続ける「使徒信条」に込められた意味とは。
目次
我は天地の造り主を信ず
我は全能の神を信ず
我は父なる神を信ず
我は主イエスを信ず
我は独り子の神を信ず
我は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれたイエスを信ず
我は真の教師イエスを信ず
我は奇蹟を命じるイエスを信ず
我は悪霊を追い出すイエスを信ず
我は十字架のキリストを信ず〔ほか〕
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
マウリツィウス
22
【《使徒信条》と私】《使徒信条》の刻んだ遺産を省みる上で「講解記録」は厳密には必要ないのかもしれませんが、「使徒」の刻んだ《信条》を私自身にも刻み続けます。「永遠生命」とは修辞ではなく「信条」。新約聖書を読み解き、繙くことで「使徒たちの史実」は確かに刻まれました。「身体の蘇り」を保証してくれた《使徒信条》はイエス=キリストの血を語り継いでくれる。その意図を真実に解体することは出来ませんが、「新約聖書」書簡内において「使徒たちの史実記録」は導かれていった。「新約聖書」は「旧約聖書」の遺産をも連続させていく。2013/12/27
マウリツィウス
15
【《使徒信条》と《私》】「使徒信条」を最初に繙いたのは『新約聖書』における『ヨハネ福音書』講読と同時でした。そして何よりも『福音書』、古代教会史における福音とは継承と学びの過程、説教を介しまた人に宣べ伝える。使徒信条は「朗読」、何度も繰り返すことも大切でしたが、実際は「永久の生命、身体の蘇り」また「十字架による贖い」何より「証」、新約聖書史における「伝道」、「霊的なるもの」、「公同」のものを学べる。「古典を読む」のも大切、でも時には機会に応じて学びの時間を保つ素晴らしさもまたある。/…福音書を携え、今秋を2014/08/23
はぐれ猫
0
使徒信条ってなじみがなくて、実はよくわかってませんでした。一文一文噛み締めるように解説してくださいます。使徒信条の歴史的な背景から、様々な思いまで。自分の信地ている物は何なのか、改めて深く見つめる機会を得ました。名著ですね★★★★★2014/08/23
yuxxlogy
0
分かりやすく、美しい日本語で良い。良書。2023/02/08