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本屋のカガヤの本棚
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
ネギっ子gen
62
【オープンダイアローグは、一対一ではなく n対nの治療関係】物事を「小難しく」考えたい人間を自認する著者が、ラカン・ベイトソン・バフチン・レイコフ・中井久夫など著者を支える思想家を動員し、「なぜ対話するだけで回復が起きてしまうのか」という疑問に真正面から答えた書。巻末に、引用・参考文献。<オープンダイアローグとの出会いをきっかけに四半世紀前のデビュー作の伏線をようやく回収できた/臨床経験を通じてベイトソニアンとしての自分を鍛え、批評活動を通じてラカニアン的な否定神学のセンスを維持してきたともいえる>と。⇒2025/10/15
ころこ
48
数年前にオープンダイアローグといいはじめ、今までの精神分析が家父長的、抑圧的、構造的でモノローグという批判に突然の宗旨替えに驚いた。いい感じの言葉が並び、時代の追い風に乗った物言いに釈然としない感想を持った。本書は精神分析とオープンダイアローグを理論的につなげ、現在取り組んでいることは今までの仕事の延長にあり、それまでの問題点を克服していることを証明する本だ。第1節で精神分析の代表である否定神学を、第2節で構造に代わってプロセスを、第3章では言語のみでなく身体性のある言語を、そして第4節で著者の理論が展開2025/02/14
ばんだねいっぺい
33
~というわけでオープンダイアローグはいいよということ。何派かに関わらず、一戦級の人の本を読むと近いような心構えや技法があったような気がする。理論的に体系化されると、より多くの人が実践できるので、このような本が書かれて広く読まれることは、とても大切なことだ。2024/12/29
かふ
17
精神分析が言語学と隣接するのは隠喩がAIには理解出来ないということからディックの小説とか想像して、彼の小説(SF)とか否定神学的になるというような、どこかで懐疑論でも最終的に信じるものがなければコミニケーションは続かない。それは最終的には死なのだがそれを超越したものがあると信じて対話を続けていくとお互いに理解可能なものが見えてくるというような。逆に言語が病を引き起こすトラウマは身体的な問題(ダブルバインド)とか。AIにダブルバインドがないのは身体がないから?それは他者性ということなのかもしれない。2025/08/18
うつしみ
14
身体性の視点が本書の真骨頂だと思う。「言葉は全てが隠喩であり、その隠喩性が成立するためには常に身体性が不可欠である。」趣旨はこの一文に尽きる。上下、前後、内外、遠近・・・言葉=隠喩の基盤には運動感覚的イメージがある。言葉(主語ー述語、主体ー客体)と共に分裂しては統合される自己の同一性・連続性は、容器(=恐らくは管腔動物としての内外)のトポロジカルなイメージにより担保されている。そして筆者は、言語(シニフィアン)の否定神学構造の中心に身体を据え、意味や記憶の宝庫たる身体こそが、全ての逆説の起源であると説く。2025/09/14
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