シリーズ ケアをひらく<br> 中動態の世界 - 意志と責任の考古学

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シリーズ ケアをひらく
中動態の世界 - 意志と責任の考古学

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  • サイズ A5判/ページ数 330p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784260031578
  • NDC分類 104
  • Cコード C3347

出版社内容情報

失われた「態」を求めて-《する》と《される》の外側へ
自傷患者は言った。「切ったのか、切らされたのかわからない。気づいたら切れていた」依存症当事者はため息をついた。「世間の人とはしゃべっている言葉が違うのよね」-当事者の切実な思いはなぜうまく語れないのか? 語る言葉がないのか?それ以前に、私たちの思考を条件づけている「文法」の問題なのか? 若き哲学者による《する》と《される》の外側の世界への旅はこうして始まった。ケア論に新たな地平を切り開く画期的論考。


【本書「あとがき」より】

 中動態の存在を知ったのは、たしか大学生の頃であったと思う。本文にも少し書いたけれども、能動態と受動態しか知らなかった私にとって、中動態の存在は衝撃であった。衝撃と同時に、「これは自分が考えたいことととても深いところでつながっている」という感覚を得たことも記憶している。

 だが、それは当時の自分にはとうてい手に負えないテーマであった。単なる一文法事項をいったいどのように論ずればよいというのか。その後、大学院に進んでスピノザ哲学を専門的に勉強するようになってからも事態は変わらなかった。

 ただ、論文を書きながらスピノザのことを想っていると、いつも中動態について自分の抱いていたイメージが彼の哲学と重なってくるのだった。中動態についてもう少し確かなことが分かればスピノザ哲学はもっと明快になるのに……そういうもどかしさがずっとあった。

 スピノザだけではなかった。数多くの哲学、数多くの問題が、何度も私に中動態との縁故のことを告げてきた。その縁故が隠されているために、何かが見えなくなっている。しかし中動態そのものの消息を明らかにできなければ、見えなくなっているのが何なのかも分からない。

 私は誰も気にかけなくなった過去の事件にこだわる刑事のような気持ちで中動態のことを想い続けていた。

 (中略)

 熊谷さん、上岡さん、ダルクのメンバーの方々のお話をうかがっていると、今度は自分のなかで次なる課題が心にせり出してくるのを感じた。自分がずっとこだわり続けてきたにもかかわらず手をつけられずにいたあの事件、中動態があるときに失踪したあの事件の調査に、自分は今こそ乗り出さねばならないという気持ちが高まってきたのである。

 その理由は自分でもうまく説明できないのだが、おそらく私はそこで依存症の話を詳しくうかがいながら、抽象的な哲学の言葉では知っていた「近代的主体」の諸問題がまさしく生きられている様を目撃したような気がしたのだと思う。「責任」や「意志」を持ち出しても、いや、それらを持ち出すからこそどうにもできなくなっている悩みや苦しさがそこにはあった。

 次第に私は義の心を抱きはじめていた。関心を持っているからではない。おもしろそうだからではない。私は中動態を論じなければならない。──そのような気持ちが私を捉えた。

 (以下略)

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

榊原 香織

124
受動態でも能動態でもしっくりこない。そんな時は中動態。古代ギリシャ語やサンスクリットに存在する第3の態。 ハンナ・アーレントあちこち登場。 難しいけど興味深かった。バリバリ哲学なのになぜか、看護・ケアのシリーズから出てる。2025/05/04

抹茶モナカ

116
能動と受動の対立以前の能動と中動という2つの態。言語学の歴史から中動態に迫り、生き方の問題にまで持ち上げる哲学書。人間の行動というものは、完全な能動も、完全な受動もなく、思推する事でどれだけ受動から能動の範囲を拡げるか、という点についてが心に響いた。人間存在は社会からの強制を受け、完全な自由な行動は出来ない、というのも、当たり前なんだけど、ハッとした。学生時代に哲学を学ぶチャンスがあったのだけれど、あまりの難しさに学ぶ事を諦めた事を悔やんだ。「読めよ、さらば救われん。」なんだなぁ。2017/07/09

sayan

104
冒頭、依存症の自助グループへの関与から中動態の検討が始まる。その概念をうまく咀嚼できたとは思えない。ある評論家は中動態の特徴は中心が二つある楕円形といい花田清輝に引き付けるがしっくりこない。また自分の行為が自分の状況に還元されるものが中動態という説もあるが自己責任と何が違うのか?現代社会の行き詰まり感は、意志と責任を問われる言語、能動/受動の対立しかないと教えられる文法の問題(限界)という説明は興味深い。意思や責任の概念の新しい捉え方の補助線として個人的に中動態というアイディアは非常に新鮮な視座と感じた。2018/11/04

ネギっ子gen

86
著者は哲学者で、アリストテレスやアレントとかスピノザの名が登場してくるが、「ケアをひらく」のシリーズ物の一冊ということで、ケア論に新たな地平を切り開く本に。副題が「意志と責任の考古学」とあるように、「意志と責任」を巡って話は進行。そして、<行為を論ずるにあたって、言語、特に文法に注目するというのは、突飛な思いつきでも特殊な試みでもない>として、著者は態に注目。<かつて、能動態でも受動態でもないもう一つの態、中動態が存在した/では、中動態とは何なのか?どのようなものなのか?>を問う旅は、こうして始まった。⇒2020/12/25

ひろき@巨人の肩

82
「文法」と「哲学」の関連を、失われた「中動態」の歴史から見出していく本書。当たり前に存在する「能動/受動」の対立構造が「自由意志」の概念によって発生したという事実に驚愕。言語は、能動態と中動態による「外態/内態」を起源とし、受動態が明確でない古代ギリシアには「意志」の概念はなく「選択」があるのみ。中動態の名残りが「完了」「使役動詞」「非人称構文」に垣間見える点も面白い。自由意志の普遍性が揺らぐ現代において、自由を権威・制限といった外部刺激と内部の変状として捉えるスピノザ哲学は、中動態に新たな意義を加える。2025/01/06

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