哲学の舞台 (増補改訂版)

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哲学の舞台 (増補改訂版)

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  • サイズ B6判/ページ数 287p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784255003900
  • NDC分類 135.5
  • Cコード C0010

出版社内容情報

世界で唯一のフーコーとの共著。1978年のオリジナル版に新規論文三篇を付し、巻末に世界のフーコー研究をリードする石田英敬(東京大学大学院情報学環教授)と渡辺守章による長篇対談「今、フーコーを読むとは」を収録。フーコー没後22年、日本が世界に誇る知的資産の増補改訂版。

■浅田彰氏の推薦
「演劇的なるものと権力的なるものの交錯を読み解く対話が、それ自体、演劇的な力をもって立ち現れる。自らを匿名化しようとしたフランスの哲学者がそれにもかかわらず捨てきれなかったフランボワイヤントな言葉に、フランス人よりも華麗なフランス語を操る日本の演出家の言葉が拮抗する。ミシェル・フーコーと渡邊守章の遭遇は、そういう稀有な出来事だった。フーコーを読み解く者は今も世界中にいる。だが、このようなフーコーとの対話は、当時も今もほとんど類例がない。この貴重な記録は、変貌の途上にあったフーコーの実像を示す興味深い内容に加え、自らを焼き尽くさんばかりの言葉の力によって、現代の読者をも圧倒するだろう。」

■目次

第 I 部(1978年の旧版に相当)
哲学の舞台
ミシェル・フーコー+渡辺守章
狂気と社会
ミシェル・フーコー
性的なるものをめぐって――『知への意志』を読む
渡辺守章
〈性〉と権力
ミシェル・フーコー
政治の分析哲学――西洋世界における哲学者と権力
ミシェル・フーコー

第 II 部(2007年、今回の増補部分)
快活な知
渡辺守章
襞にそって襞を――フーコーの肖像のために
渡辺守章
見ること、身体――フーコーの『マネ論』をめぐって
渡辺守章

今、フーコーを読むとは――解題に代えて
石田英敬+渡辺守章

■著者紹介
ミシェル・フーコー Michel Foucault
1926年フランス、ポワティエ生まれ。高等師範学校で哲学を専攻。1970年から84年の死に至るまで、コレージュ・ド・フランス教授として「思考諸体系の歴史」を講ずる。著書に『臨床医学の誕生』(邦訳みすず書房)『狂気の歴史』『言葉と物』(邦訳新潮社)『知の考古学』『言語表現の秩序』(邦訳河出書房新社)『監獄の誕生』『性の歴史』(邦訳新潮社)などがある。歿後、序文やインタビューを網羅する『言ったことと書かれたこと』全四巻(邦題「ミシェル・フーコー思考集成」全十巻、後に「フーコー・コレクション」全六巻に再編集)がまとめられた他、『マネの絵画』が刊行され、「コレージュ・ド・フランス講義録」(邦題「ミシェル・フーコー講義集成」)が刊行中(いずれも邦訳筑摩書房)。

渡辺守章 Moriaki Watanabe
1933年東京生まれ。東京大学名誉教授。放送大学名誉教授。専攻フランス文学・表象文化論。演出家。著書に『ポール・クローデル』『虚構の身体』(中央公論社)、『演劇とは何か』(講談社)、『パリ感覚』(岩波書店)など。訳書にラシーヌ『フェードル アンドロマック』(岩波文庫)、フーコー『性の歴史I――知への意志』(新潮社)、クローデル『繻子の靴』(岩波文庫、毎日出版文化賞他を受賞)、ロラン・バルト『ラシーヌ論』(みすず書房、読売文学賞受賞)など。演出作品にラシーヌ『悲劇フェードル』、クローデル『真昼に分かつ』、ジュネ『女中たち』など。演劇企画「空中庭園」主宰。

目次

第1部(哲学の舞台;狂気と社会;性的なるものをめぐって―『知への意志』を読む;“性”と権力;政治の分析哲学―西洋世界における哲学者と権力)
第2部(快活な知;襞にそって襞を―フーコーの肖像のために;見ること、身体―フーコーの『マネ論』をめぐって)
今、フーコーを読むとは―解題に代えて

著者等紹介

フーコー,ミシェル[フーコー,ミシェル][Foucault,Michel]
1926年フランス、ポワティエ生まれ。高等師範学校で哲学を専攻。1970年から84年の死に至るまで、コレージュ・ド・フランス教授として「思考諸体系の歴史」を講ずる

渡辺守章[ワタナベモリアキ]
1933年東京生まれ。東京大学名誉教授。放送大学名誉教授。専攻フランス文学・表象文化論。演出家。著書にクローデル『繻子の靴』(岩波文庫、毎日出版文化賞他を受賞)、ロラン・バルト『ラシーヌ論』(みすず書房、読売文学賞受賞)など。演劇企画「空中庭園」主宰(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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センケイ (線形)

1
面白かった。手渡してくれた友人に感謝。教科書的に役立てるのは難しいように感じたけれど、その分彩りに満ちているように思う。フーコーの講義のさまがほぼ直接文章になっていて、(解説の受け売りでいうと)フーコーがリアルタイムにその場で思考を作り上げている迫力がにじみ出てくる。演劇や絵画などとの照らし合わせも幅広い。マネ論に対する考察が、庵野秀明氏初期作品に対するアニメ・マシーンという本の考察とも響きあって感じられるのに興奮したのだけど(つねに視点を移動させるということ)、拡大解釈すぎるだろうか。2017/01/31

つだしょ

1
1)狂気、権力、性などの中心的モチーフについて簡潔に語られる対話と、小論で構成される。 狂気がどのように社会的につくりだされたのか。 実は自分(主観性)などというものは、キリスト教的伝統の告解の習慣などの<牧人=司祭型権力>から構築させられたものなのではないか。 性もキリスト教的伝統によって抑制・抑圧されたまま、社会的な権力の装置にされているのではないか。2013/11/28

ちあき

1
旧版は20年以上前に読んだ。渡辺先生がフーコーの紹介者だったのは日本の読者にとってとても幸福なことだったんだな、とあらためて。階級闘争で重要なのは「階級」じゃなくて「闘争」だ、みたいなフーコーの発言を確認したかったのだけど、この本じゃなかったみたい。2008/10/16

ぷほは

0
かつて「フーコーを読む」とは『言葉と物』から始まり、次いで『狂気の歴史』や『知の考古学』に進むのが標準だったが、今では『性の歴史Ⅰ』と『監獄の誕生』を読んでおけば、とりあえず「読んだ」と言えるようになったらしい。一概にその変化の良し悪しを決めることは私にはできないが、むしろなぜフーコーはそのように読まれなければならないのか/ならなかったのか、という視点を持つために、本書は役にたつ。不勉強ながら、渡辺守章氏の演劇論はこれから取り組まなければならない課題だ。マラルメは読めなくても、母語で読めるものに関しては。2016/01/05

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