学校が兵舎になったとき―千葉からみた戦争 一九三一~四五 (新装版)

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  • サイズ A5判/ページ数 221p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784250204180
  • NDC分類 210.75
  • Cコード C0021

内容説明

戦争遂行がすべてに優先された。その時、暮らしは、学校は…地域で発掘された事実、人びとの戦争体験、戦争遺跡から浮かび上がる戦争の実像。

目次

1章 戦争はこうして行われた(地図から消えた海岸線―東京湾要塞は首都防衛の最前線;長距離爆撃への試験飛行基地―海軍館山航空隊 ほか)
2章 人びとはこうして戦争にまきこまれた(花づくりを守った人びと―花・海藻・ウミホタルと戦争;戦争犠牲者と法号―寺院の記録からみた十五年戦争 ほか)
3章 学校と子どもたちの生活はこう変わった(「ぼくらわたしら少国民」―国民学校の子どもたち;生き残った「青い目の人形」―日米親善人形使節のゆくえ ほか)
4章 空襲下の本土決戦体制と敗戦(千葉市民を襲った「七夕空襲」―空襲をどう語りつぐか;墜落した米軍パイロットの虐殺―町民が戦犯になった ほか)

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

kenitirokikuti

7
かつて海藻のカジメやアラメは肥料として用いられたが、のちに海藻灰は医薬品のヨードや硝石の原料となり、海藻が軍事物資となる(昭和電工)。外房海岸ではアワビやサザエなども取っていたが、海藻の増産のため貝類の採取は禁止される▲海蛍の戦中防諜上の呼称を「あんけら」「ひき」と言った。海蛍の発光性物質が軍事利用された。携帯用照明や夜間の敵味方識別に使う。また、夜間特攻用に海面に投げガイドとする用法もあった。ルシフェラーゼにそんな使われ方があったとは知らず!2018/12/02

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