わたしが明日殺されたら

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  • サイズ B6判/ページ数 348p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784198631802
  • NDC分類 289.2
  • Cコード C0036

内容説明

父には7人の妻がいた。わたしは23人の子供の19番目。「女の子じゃしょうがない」と、生まれてすぐ灼熱の地に放っておかれた。それは1975年のこと。まだ残虐なタリバンに国が支配される前だった―。血なまぐさい内戦で殺される父や兄たち。女性は迫害され、夫は無実の罪で投獄される。何度も死地をくぐりぬけながら、希望を捨てず教育を受け、やがてわたしの胸にひとつの決意が生まれる―。アフガニスタン次期大統領候補といわれる女性の壮絶な半生記。

目次

第1部 娘たちへ最初の手紙を書いた朝(「女の子じゃしょうがない」(一九七五年)
母の愛を注がれて(一九七七年)
父の恐ろしい最期(一九七八年) ほか)
第2部 戦う、生きる、生き抜く(タリバンの登場(一九九六年)
北への避難(一九九六~一九九七)
狂気の白い旗(一九九六~一九九七年) ほか)
第3部 未来をこの国に(故郷へ戻る(一九九八)
娘たちの誕生(一九九八~二〇〇一年)
タリバンの敗走(二〇〇一年) ほか)

著者等紹介

クーフィ,フォージア[クーフィ,フォージア][Koofi,Fawzia]
1975年、アフガニスタン北部のバダフシャン州生まれ。2002~2004年までユニセフで児童保護担当官として働く。国際機関で働く唯一のアフガン女性だった。2005年、アフガニスタン国会の下院議員選挙に立候補して当選。首都カブールに在住

福田素子[フクダモトコ]
東京大学教養学部教養学科フランス科卒業。英米・仏語翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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どんぐり

71
アフガニスタンの国会議員で、女性と人権委員会の委員長を務めるフォージア・クーフィ(1975年生まれ)の自叙伝(原題は「娘たちへの手紙」)。親の期待に反して女児として生まれ、ムジャヒディン同士の内戦により政治家の父親と兄が殺され、イスラム原理主義のタリバンの支配が強くなると今度は夫が投獄。その後、夫の解放とともにタリバンの勢力が及ばない北部に避難し、ユニセフで働く国連女性職員となり、最後にアフガニスタンの議席を獲得するまでが記されている。男尊女卑の根強いアフガニスタンにあって、自身の政治家としての価値を人権2019/07/03

天の川

35
アフガニスタンの女性政治家の自伝。この約40年間の政情不安、ムジャヒディン、ソ連侵攻、タリバンの振りかざした原理主義がどれほど人々を蹂躙したかがわかる。政情不安になる前からアフガニスタンの女性の地位は極端に低かった。夫の暴力を愛情の表れと捉え、家族のためにつくす。妻の命は家畜一頭より軽い。多くの女性が学校に行かせてもらえず、幼くして結婚させられる。政情不安でまず犠牲になるのは女だ。特にイスラム世界では。自立のための教育の大切さ、貧困が社会不安を生むこと、考えることが多々あった。2019/07/23

ののまる

13
アフガニスタンは女性が変えていくと思う。いまそういった女性達の識字教育を支援している友人がいて、現場での話を教えてくれます。片道4時間歩いて学校に通う女性など。ムスリム女性は確かに人権も尊重されていないけど、だからこそ彼女たちは逞しく、自分の国の将来をきちんと見据えている。2018/04/21

こぽぞう☆

3
アフガニスタンの動乱の(と同時に世界にあまり知られていない)時代に生まれ育ち、女性には教育はいらないとされた中で、高等教育を受けた女性。内戦とそれに続くタリバン政権下で、家族の多くを亡くし存在すら否定されるような出来事の数々に翻弄されつつも、やがて政治家の道へ進む。女性が書いたもので、これほどわたし自身と立場が違う目線はあまりないと思う。イスラム、と一括りにしてはいけないのだろうが、その中で女性として生きていくのは大変そうだ。2015/12/18

Mana

2
アフガニスタンの女性政治家の自伝。つらい境遇だけど読んでると未来への期待や人間性への希望が感じられる。2015/11/15

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