国語科教育はなぜ言葉の教育になり切れなかったのか

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国語科教育はなぜ言葉の教育になり切れなかったのか

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  • サイズ A5判/ページ数 266p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784183245496
  • NDC分類 375.8

目次

国語科の領域の中身は何であったのか
国語についての知識よりも豊かな言語経験か
国語科教科書を言葉の教科書にする試みの無残な結果
国語科各領域の現在の問題
教材としての方言の運命
教材としての敬語のあり方
「和語・漢語・外来語」という語彙指導の教材づくりは、何時まで続くのか
文法という役に立たない知識学習の残酷さ
話すこと・聞くことが学習指導になる道筋
国語科授業展開上の問題点
授業研究という考え方の成り立ち
評価が授業のあり方と係る道筋
言葉の正しい使い方の教科か、認識力の育成の教科か
国語科教育の本質は、言葉の“妥当な使い方の学習にあること

著者紹介

渋谷孝[シブヤタカシ]
1931(昭和6)年6月、山形県長井市生まれ。山形師範学校、東北大学文学部(国文学科)、同大学院(国文学国語学専修、博士課程中退)。新潟大学、宮城教育大学にて国語科教授、および国文学の一部を担当。1997(平成9)年3月退職。この間附属小学校長、附属図書館長を併任。現在、東北地区国語教育(小・中・高校)研究協議会会長。山形短期大学非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)