文春学藝ライブラリー<br> 支那論

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支那論

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  • サイズ 文庫判/ページ数 341p/高さ 16cm
  • 商品コード 9784168130038
  • NDC分類 312.22
  • Cコード C0195

出版社内容情報

博識の漢学者にして、優れたジャーナリストであった内藤湖南。辛亥革命以後の混迷に中国の本質を見抜いた近代日本最高の中国論。

中国をどう見るか、中国にどう向き合うか――これこそ日本にとって、最も重要で、最も難しい課題である。そして今日、中国の急速な台頭を前にして、われわれにとって、いっそう切実な課題となっているが、最も頼りになるのは、内藤湖南の中国論であろう。なかでも戦前、最も読まれ、同時代中国を論じた『支那論』(1914年)と『新支那論』(1924年)を本書は収める。
湖南は、『日本人』『万朝報』『大阪朝日新聞』『台湾日報』などで、ジャーナリストとして活躍した後、京都大学に招かれ、東洋史学講座を担当した。中国史全体に関する学者としての博識と、中国現地でのジャーナリスト経験を合わせもつ稀有な存在として、清朝滅亡以降、激動する同時代中国を観察し続けたのである。
その中国論は、一言で言えば、皇帝の権力が強くなる一方、貴族階級が消滅して平民が台頭し、商業が盛んになった北宋(960年~)の時点ですでに、中国は近世(近代)を経験した、というものである。
「支那の歴史を見れば、ある時代からこのかたは、他の世界の国民の……これから経過せんとしているところの状態を暗示するもので、日本とか欧米諸国などのごとき、その民族生活において、支那よりみずから進歩しているなどと考えるのは、大いなる間違の沙汰である」――湖南は、中国の民主化の挫折を予言するのであるが、それも、中国が「近世」の段階にすでにこれを経験・失望し、西洋や日本の「近代」での経験に先んじていたからなのである。
政治的独裁と経済発展が混在する現代の中国。湖南の中国認識は、今日、いっそうのリアリティを持っており、われわれ自身の中国認識の出発点となりうるだろう。

内容説明

漢学者にしてジャーナリストであった内藤湖南は、一九一一年の辛亥革命、中華民国成立以後の混迷のなかに、中国の本質を見抜いた。独裁体制と政治文化、地方自治のあり方、領土・民族問題など、その中国認識は、今日なお、まったく古びていない。

目次

支那論(君主制か共和制か;領土問題;内治問題の一 地方制度;内治問題の二 財政;内治問題の三 政治上の徳義および国是;附録)
新支那論(支那対外関係の危険;支那の政治および社会組織;支那の革新と日本;自発的革新の可能性;支那の国民性とその経済的変化;支那の文化問題)

著者等紹介

内藤湖南[ナイトウコナン]
1866‐1934年。明治から昭和初期の東洋史学者。本名は内藤虎次郎。陸奥国毛馬内村(現・秋田県鹿角市)生まれ。南部藩に仕えた儒学者の家系。秋田師範学校を卒業。『三河新聞』、雑誌『日本人』、『大阪朝日新聞』、『台湾日報』、『万朝報』などの記者として活躍。その間、中国問題について研究を深め、1907年、狩野亨吉によって京都帝国大学に講師として招かれ、東洋史学講座を担当、のち教授。唐と宋の間に時代的画期を見出し、中国の近世は宋代から始まった、とする説を提唱(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

南北

41
1914年刊行の「支那論」と1924年刊行の「新支那論」を収録している。「支那論」では辛亥革命の熱気に著者が影響を受けているのがわかるが、それでも宋の時代から貴族がいなくなって「近代」になったのだという言説やウイグルやチベットが漢人たちに服属しないという指摘などは興味深く読めた。「新支那論」は10年しか経過していないのに中国に対して一種の諦観めいた視点で見ている印象を受けた。中国人として団結しないことを「砂のようだ」と言っていた孫文の言葉が想起された。漢籍を典拠とするため難しい点もあるが、読む価値はある。2022/05/10

Aminadab

23
『清朝史通論』感想から続く。通論前半を読むと、チベットとかウイグルがどうして清朝の領土となり、朝鮮が属国となったか一発でわかる。また唐代半ばに貴族政治が皇帝独裁に変わってからの中国では、官僚は民間社会とは一切交叉しない、ひたすら公的資金から役得をむさぼって一代で財をなすだけの機構だ、という説は納得。だから王朝が代を重ねると宮中費がかさんで財政危機になり、明清交代はそれをご破算にするための変革、も納得。しかし「新支那論」の〈そういう中国の現状にどこの国もいずれは行きつくのだ〉論は面白いが説得はされなかった。2021/09/02

軍縮地球市民shinshin

13
著者は東洋学の京都学派の創始者。秋田師範学校を卒業した後、小学校教員、ジャーナリストを経て新設の京都帝国大学講師、2年後に教授。文学博士号まで取得しているが、湖南自身は大卒ではなく異例の学者である。湖南とは十和田湖の南に生まれたから号としたという。南部藩士の出である。元々はジャーナリスト出身だからか、湖南は講演を行って優れた速記者に記録してもらったのを元に著作とすることが多い。本書もその例にもれず、『支那論』は1914年の講演、『新支那論』は1924年の講演が元になっている。そのほかに中国情勢の時事評論も2024/08/13

サワ

13
漢民族的な視点と、新疆、西藏、満洲、蒙古の四つの民族が懐く視点の差は興味深い。そもそも漢民族以外が統一への関心が薄いことを考えれば、現代の中国辺境部が安定しないことの説明がある程度つく。内部統一に成功した一方で、中央集権と財政の困窮から逃れられていない現状を加味すると、歴代の中国大陸が辿った運命と同じ轍を踏みそうだ…単に民主主義にすれば良いワケではないのが、安定化への道を難しくしている。2022/09/30

筑紫の國造

10
京都大学で東洋史を講じた碩学、内藤湖南による中国論。幼少期からの漢学の素養に裏打ちされた中国への観察眼は、現代でも十分に通用する。ただし、やはり書かれた当時の時代を中心に論じているものなので、辛亥革命期の知識が多少なりともあった方がいいだろう。内藤の中国論は、どこかその後の日本の歩みを予言したような節がある。中国史に通暁したがくしゃだからこその希望と失望、そこから見出される展望は、未だに我々日本人に知見をもたらしてくれることだろう。2023/04/29

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