内容説明
口数の少ない父が遺した小さな黒い手帳と三冊の大学ノート。そこには子供の誕生、妻の死、鬱屈する日々を経て、「藤沢周平」となるまでの苦闘の足跡が綴られていた。なぜ父は小説を書き続けたのか。自分はどのように生まれ、育てられたのか―。没後二十年を契機に愛娘が読み解き、明らかにされた作家の心の声。
目次
1(私、産まれる;親子三人;小説を書かねばならない;新しい年;オール讀物新人賞応募;仕事と子育て;父の子守歌)
2(金山町雑記;二足のわらじ;直木賞受賞;専業作家となる;小説の転機;徹底して美文を削り落とす)
著者等紹介
遠藤展子[エンドウノブコ]
昭和38(1963)年、藤沢周平(本名・小菅留治)の長女として、東京に生れる。西武百貨店書籍部に勤務ののち、88年に遠藤崇寿と結婚。現在は藤沢周平にかかわる仕事に携わっている。エッセイストとしても活動(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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おさむ
39
藤沢周平の一人娘が、遺された手帳(日記)から亡き父の心情を振り返る。淡々としながらも本音がにじむ文章から先妻を亡くしたときの深い哀しみや、専門誌記者と作家の二足のわらじの苦労ぶりがわかる。「小説は私という兵士が口ずさむ軍歌のようなもの。メロディがやや悲惨味を帯びるのはやむを得ない」「美文は鼻につくとどうしようも無いほど嫌みなものだ。徹底して美文を削り落とそう」‥‥本人は直木賞の「暗殺の年輪」よりも「又蔵の火」の方が出来が良いと思っていたこと、晩年、自律神経失調症を患っていたことなど初めて聞く話も多かった。2020/10/12
tomoka
12
文庫「暗殺の年輪」をそばに置き、時々読み返しながら読了。私と同世代の展子さん、昭和40年代の日常を思い出して懐かしくほっこりしました。2021/06/11
miruko
3
「いつも書くことでしか解るしかないのだ。考えてうまくいかないときは、書くことでしかみつけるしかない。(中略)父が残したものの中に、同じ書き出しで途中まで書いてはやめている草稿がたくさんあったのは、父の小説の書き方が、とにかく書いて、書いてわかるまで書く方法だったからだと、やっと私も理解出来ました」(p143)まだ若い頃の妻の死、慣れない子育て、サラリーマンと物書きの二足のわらじ。藤沢周平はこんなに苦労した人だったんだ。父への愛情がそれとなく読み取れる、温かみある文章がまた良い。2022/12/01
あんPAPA
2
藤沢周平の暗い一面が残された手帳に記されていた。幼子を残し若くして旅立った妻と云うだけで現在の海老蔵と似たような状況だなと感じた。そこでどうやって人生を立て直していくのかだが、やはり年月の経過と後添えを貰う事、意義を認める仕事が得られる事が大事なのだと良く判った。2021/08/26
なおしょうたつ
1
最初の奥様が亡くなったところは涙が出た。2021/10/17