内容説明
熾烈を極めるが、戦争ほど面白い人間ドラマはない。運不運のハプニング。指揮官の駆引き、決断。菊池寛の『日本合戦譚』を愛読してやまなかった著者が、満を持して世に問うた、文句抜きに面白い傑作。「長篠合戦」「川中島の戦」「関ヶ原の戦」など、日本の合戦史から九つを選んで、そのドラマを解明する。
目次
長篠合戦
姉川の戦
山崎の戦
川中島の戦
厳島の戦
九州征伐
島原の役
関ヶ原の戦
西南戦争
著者等紹介
松本清張[マツモトセイチョウ]
1909(明治42)年12月、福岡県企救郡板櫃村(現・北九州市)に生れる。53(昭和28)年「或る『小倉日記』伝」で第28回芥川賞を受賞。56年、それまで勤めていた朝日新聞社広告部を退職し、作家生活に入る。63年「日本の黒い霧」などの業績により第6回日本ジャーナリスト会議賞受賞。67年第1回吉川英治文学賞受賞。70年第18回菊池寛賞、90年朝日賞受賞。92(平成4)年8月死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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古古古古古米そっくりおじさん・寺
89
松本清張がかつて(立ち読みで)愛読した菊池寛の『日本合戦譚』へのオマージュ的作品。後書きで『日本合戦譚』がほぼ池島信平の筆である事が語られる。長篠、姉川、山崎、川中島、厳島、九州征伐、島原、関ヶ原、西南戦争。清張さんは人間を厭なものとして眺めている節がある。だからか戦争を取り巻く人間関係を結構厭な感じで書いている。そこが面白い。ただ、今や更新されている史実もあるので、そこは古さが隠せない。一番面白かったのは西南戦争。西郷の傲慢と薩摩藩士内の差別。愚かな戦争である。これを来年の大河はどう描くのか?。2017/05/07
i-miya
58
2014.01.16(01/17)(つづき)松本清張著。 (長篠合戦、つづき) 勝頼は、小山田に裏切られた。 鉄砲を撃ちかけてきた。 塩山付近でのことである。 武将は、小山田信茂。 山に隠れていた小山田。 小山田の城は、岩と野山、岩殿山にあった。 そこへ落ち延びようとしていた勝頼。 岩殿山は、大月の近く。 いま中央線から眺められる。 小山田は、人質として、実母を勝頼のところへ出していた。 勝頼を迎え入れる準備と称して、その母を受け取り、先に岩殿山に戻っていた。 2014/01/16
i-miya
52
2013.12.17(12/17)(つづき)松本清張著。 12/11 (p033) 武田信玄は城を築かなかった。 甲州の四囲の山々が自然の要害になっていたのと、絶えず他国を侵略し、攻められることはない。 勝頼は甲州に帰ると、代々の居館であった甲府を引き払い、韮崎近くに新しい城塞を設けた。 これを新城という。 だがこの新府城を完成する前、いまだ甲府にいるとき、織田信忠の攻めにより、さらに南方面からの家康の進撃により、そこに留まることもできず、甲府を捨て、東へ逃れた。 2013/12/17
i-miya
37
2013.05.12(つづき)松本清張著。 2013.05.12 (勝頼の自信) 対、上杉謙信、長沼に火を放つ謙信勢10千人。 八百人の兵で防いだ勝頼、謙信感心。三方原でも勝頼の側面攻撃が家康の敗因に大きく作用。 自分の云うことを聞く幹部、長坂長閑、跡部勝資。 老番頭対策、力、実力を示すこと。 奥三河諸城の回復作戦。 山県、呼び、「明日は汝が旗を瀬田に立てよ」と信玄。 京都の出入り口。 『甲陽軍鑑』に、信玄の死ぬまでのウワゴトが書いてある。 2013/05/12
detu
36
清張の歴史感はクールだ。司馬遼さんとは趣を異にする。どちらも嫌いではなぃ。島原の乱の稿は興味深かった。2016/02/27