出版社内容情報
殉教の火に、原爆の火に焼かれながら、人はなぜ罪を犯し続けるのか? 欲望と贖罪、エロスと死の背反にもがく人間の「業」を描く傑作。
内容説明
殉教の火、原爆の火に焼かれながら、人はなぜ罪を犯し続けるのか?「聖水」で芥川賞を受賞した著者が、欲望と贖罪、死とエロスの二律背反の中で苦悩し歓喜する人々を描いた連作短編集。人間の内奥を圧倒的な物語性の中で展開し、谷崎潤一郎賞、伊藤整文学賞の二つの文学賞を同時受賞した衝撃的作品。
著者等紹介
青来有一[セイライユウイチ]
1958年長崎市生まれ。長崎大学卒業。95年、「ジェロニモの十字架」で第80回文學界新人賞受賞。2001年、「聖水」で第124回芥川賞を受賞。07年、『爆心』で第43回谷崎潤一郎賞、第18回伊藤整文学賞を受賞。長崎市在住(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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かみぶくろ
103
ずっと気に掛かっていた青来有一さんの代表作。長崎の爆心地付近で生きる「現在の人々」を綴る短編集である。多くの人にとって原爆は既に過去のこと。それぞれが生活に根差した悩みを抱え、平穏に、あるいは身悶えながら生きている。ただそうした生活に、時折亀裂が入ったように射し入る原爆の光。それは長崎の人々が無意識下に共有する傷とも、土地の記憶とも言えそうな何かだ。長崎に生まれ育ち、今も長崎市職員として土地に根付き続ける青来さんだからこそ、そうした微かな重みを掬い取れるのだろう。良作。2015/10/24
安南
28
原爆と切支丹殉教の歴史を長崎という土地の記憶として現代に蘇えらせる試み。この地は二重の意味で犠牲の地なのだ。何故、私たちなのかという問い、ヨブ記と重ね合わされた強い問いがどの短編のなかにも通底している。芥川賞作家の谷崎潤一郎賞受賞作。この夏、映画化もされた。少々野暮ったさはあるものの技巧に走らず読みやすい丁寧な文章で安定感がある。テーマのせいか、遠藤周作に近いものを感じた。最後の2編は特に胸に響いた。悲惨な歴史を乗り越えてきた土地と人々。長崎弁の言葉が温かく、優しく響く。2013/08/08
Tadashi Tanohata
27
本文から少し引用します。 「人智を超えた破壊(=原爆)にまきこまれたときなど、まるで古い信仰がよみがえることがあるのだろう。迷信と笑ってはいけない。私たちの今でもそれほど合理的ではなく、その原理はそんなものなのかもしれないではないか」前後の文脈もありますが、この一行を目にしたとき、激しく心が揺さぶられました。今迄、引用にこれほど行数を割くことはありませんでしたが、今の私の実力ではこれ以上の文章は重ねられませ。2017/09/03
501
18
長崎の原爆を爆心とした短編集。長崎はキリスト教が根付き、信仰と結びつく。原爆というと広島を連想するが、これは自分の浅はかさかもしれないが、報道を始め現代の情報の発信が広島に偏っているのではないかと思うのは気のせいだろうか。本書は当時を直接的に題材した話ではなく、まさに原爆が爆心に時間的にも距離的にも各編の人物の人生を通して広がっていくイメージ。どの話も幻想性が人の生を濃く感じさせる。独特な感触のある文体だった。2020/05/06
桜もち 太郎
17
長崎市出身で爆心地で育ったからこそ書けた作品だと思う。戦後生まれの作者にとって、原爆のことを記すことにはかなりの葛藤と覚悟が必要だったと思う。同郷で被爆者の作家林京子から「自由に書いていいのよ」と言われたらしい。6作品からなる短編集であるが全ての作品に原爆の影がある。中でも「虫」「蜜」がよかった。「虫」は神の存在を問う内容で遠藤周作の「沈黙」にも通じるものがあった。なぜ神の国であるアメリカがキリスト教信者の住む長崎を、浦上天主堂を焼き尽くす所業を行ったのか。なぜ神は信者を守ることがなかったのか。→2020/11/21