内容説明
義経は華やかに歴史に登場する。木曽義仲を京から駆逐し、続いて平家を相手に転戦し、一ノ谷で、屋島で、壇ノ浦で潰滅させる…その得意の絶頂期に、既に破滅が忍びよっていた。彼は軍事的には天才であったが、あわれなほど政治感覚がないため、鎌倉幕府の運営に苦慮する頼朝にとって毒物以外の何物でもなくなっていた。
著者等紹介
司馬遼太郎[シバリョウタロウ]
大正12(1923)年、大阪市に生れる。大阪外国語学校蒙古語科卒業。昭和35年、「梟の城」で第42回直木賞受賞。41年、「竜馬がゆく」「国盗り物語」で菊池寛賞受賞。47年、「世に棲む日日」を中心にした作家活動で吉川英治文学賞受賞。51年、日本芸術院恩賜賞受賞。56年、日本芸術院会員。57年、「ひとびとの跫音」で読売文学賞受賞。58年、「歴史小説の革新」についての功績で朝日賞受賞。59年、「街道をゆく“南蛮のみち1”」で日本文学大賞受賞。62年、「ロシアについて」で読売文学賞受賞。63年、「韃靼疾風録」で大仏次郎賞受賞。平成3年、文化功労者。平成5年、文化勲章受章
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
324
下巻では木曾義仲を破った後、いよいよ宿願の平家追討である。このあたりが、いわば義経の全盛時代だろう。鵯越えに屋島の合戦、壇之浦の海戦と軍略に富んだ義経は、まさに向かうところ敵なしといった奮迅の活躍である。義経は、時代を大きく先取りした軍略家であったが故に、それ以前の戦闘を大きく変えたのである。もっとも、その後継者たるや、はるか後の織田信長を待たねばならなかったほどに時代を超越していたのである。その義経に、せめて頼朝の半分とは言わず、1/5くらいでも思慮と政治力があれば、世は義経のものだっただろう。⇒2026/05/03
明智紫苑
168
義経という人の政治力はゼロどころかマイナスですらある。しかし、多くの日本人は政治的な人間を好まない。いわゆる「ぶりっ子」や「偽天然」が嫌われるのも、日本人の「政治屋」嫌いの表れだ。司馬氏は主人公である義経を突き放して描いたが、手塚治虫氏の『火の鳥』の義経と同じく偶像破壊だろう。この小説の義経は手塚氏の義経みたいな嫌な奴ではないが、それでも身近にいたら困るタイプの人だから、頼朝が持て余すのも仕方がないだろう。2016/08/12
ケイ
136
戦いの場面は、司馬遼太郎の筆が舞うようだった。手に取ったきっかけである、義経の生涯や運命についてはよくわかった。単純に頼朝が義経に冷淡であったのではなく、後白河法皇、北条氏との関係からも踊らされたのだろう。義経の性格については、単純に描かれすぎており、 そこには不満が残る。2018/09/23
サンダーバード@怪しいグルメ探検隊・隊鳥
107
日本には昔から判官びいきという言葉がある。なるほどこれを読むとそうなるのであろう。たぐいまれな軍事の天才であったが、愚かなほどに純粋であった義経。彼にもう少しだけでも政治的な駆け引きができる能力があったなら、彼の人生ももう少し変わったものになっていたであろう。そのために悲劇の人生を送ってしまったのだ。★★★
優希
102
華やかに歴史に登場した義経ですが、軍才はあっても誠意的手腕は哀れなほど皆無という落差を持つのに驚きました。鎌倉幕府を開いた頼朝にとって、危険因子であったに違いありません。壇ノ浦以降、命を狙われるくらいですから。腕だけはあったがための悲劇のヒーローと言っても良いのかもしれません。2018/09/04




