内容説明
死を目前にした老父をめぐって、複雑にからみあう家族ひとりひとりの内面を、それぞれの独白の形で重層的に描き出した、亡き父への鎮魂小説「家族」。死の床でなお“性”への執筆を見せる老人と、それに最後まで向き合わざるを得ない医者の葛藤を描いた「さとうきび畑」などを収めた珠玉短篇集。著者自身によるあとがきを付す。
著者等紹介
南木佳士[ナギケイシ]
昭和26(1951)年、群馬県に生れる。秋田大学医学部卒業。現在、長野県南佐久郡臼田町に住み、佐久総合病院に勤務。地道な創作活動を続けている。56年、難民医療日本チームに加わり、タイ・カンボジア国境に赴く。同地で「破水」の第53回文学界新人賞受賞を知る。平成元年、「ダイヤモンドダスト」で第100回芥川賞受賞
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感想・レビュー
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ヴェネツィア
270
南木は「あとがき」で「『わたし』を書く業の深い仕事」と語っているが、彼の小説は『医学生』など、ごく少数の例外を除いてはすべてこうした範疇にある。ただ、篇中の表題作「家族」では、新しい試みとして、自分語り(もちろん、これとても創作)以外に、姉、妻、義母、そして父がそれぞれに自分自身を、そして平野久夫(創作上の南木)を語るのである。なにしろ「作家の自伝なんて信用できない」のだから。やや偽悪的なところもないではないが、変に深刻にならずに、軽妙なタッチも感じられて新鮮だ。立体化された自己像の小説とでもいうべきか。2016/01/29
新地学@児童書病発動中
103
表題作の「家族」は死の床にある父をめぐって、家族の思いが絡み合う。家族から見た作家南木佳士の生き様が、突き放したユーモアで描かれているところが新鮮だった。「井戸の神様」が一番の好み。著者が繰り返し描いている故郷の話で、ぼんやりと彼岸の世界が見えてくるところに惹かれる。恐怖ではなく、郷愁と共に彼岸の世界を感じるのだ。最後の「さとうきび畑」は暗く、重たい話。死にかけている男性の数奇な人生が強い印象を残す。医者としてこの男性の最期に寄り添う作者の姿勢に、人間としての優しさと良心を感じた。2016/06/04
piro
37
根底にあるものは他の南木作品と繋がっていつつ、加えて人生の峠を越えた達観や自省を強く感じる作品。自身がモデルと思われる平野久夫の振る舞いと父の晩年の姿を、家族それぞれの視点から描く表題作は、あとがきで作者が言うには亡き父への鎮魂小説との事。家族の久夫への想いは、南木さんの自虐とも自省とも感じられるもので、これはこれで南木さん流の鎮魂なのでしょう。『風鐸』は、心の病から回復しかけた主人公の、うららかな春の日の情景が清々しく感じられた一作。『さとうきび畑』は哲学的で、死に方について考えさせられる一編でした。2025/04/06
James Hayashi
27
表題作の「家族」がユニークで興味深い。登場人物の名は変えているが私小説であろう。父の病気、介護、死に対し家族の一員が語るのである。その中の妻のボヤきは異色というか、本音であろう。著者の祖母の言葉も印象に残る。東京へ出たがる孫の著者に対し「どこで生きたって人間はおんなじだ。空を飛ぶ鳥も地を這う蛇も、一生は一生でみんな同じだ。優しい人間とそうでない人間がいる。それだけだ」しんみりくる短編小説。2019/10/17
501
15
なんとも軽率な連想だった。家族というタイトルから自動的に紋切り型的な家族の温かみのようなものを連想し読み始めたが、そうではなかった。著者は南木佳士なのだ。家族を構成する人々からの視点で家族に対するそれぞれの思いが語られる。各々の視点だから主観であり食い違うところがあり、何がどれほど本当なのか判断できないが、相反していることを含めそれぞれが真実なのだろう。一読で分からなかったが、反芻してみるとやはり彼らは家族のありのままの姿なのだなと思い至る。2020/12/22