内容説明
越後に流された親鸞は、妻・恵信尼とともに静かに暮らすが、やがて赦免。親鸞は、関東に出向き、『教行信証』の執筆に専念する。次第に増えていく門徒たち。しかし、親鸞は全てを捨て、京へ戻り、仏典の研究に明け暮れる。浄土真宗の教祖の九十歳で入寂するまでの足跡と教えを現代にわかりやすく伝える一代記ここに完結。
著者等紹介
津本陽[ツモトヨウ]
昭和4(1929)年、和歌山市に生れる。東北大学法学部卒業。昭和53年『深重の海』により第79回直木賞受賞。主な著書には『闇の蛟竜』『雑賀六字の城』『宮本武蔵』『柳生兵庫助』『独眼龍政宗』『下天は夢か』『乾坤の夢』『獅子の系譜』『龍馬の油断』などがある。平成7年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。平成15年旭日小綬章を受章。平成17年第53回菊池寛賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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姉勤
20
京を追放され、親鸞は越後へ赴き、赦された後も京へは戻らず東国への道を選ぶ。常陸での布教は、鎌倉の開府、承久の乱を経て仏教が貴族から武士、庶民へひろがり、彼らの拠り所として浸透した。東国の布教を弟子に委ね、京に戻った親鸞は教義の研鑽に励むが、悪人正機という方便が懼れていた誤解や曲解を生み、よりによって後継を恃んでいた実子善鸞の誤った指導に対しては義絶をせざるを得なかった。90歳で静かに息を引き取った終焉に奇瑞は描かれず、少ない史料から存在さえ疑われた親鸞の生を現したのは、最高の伴侶、恵信尼の手紙からだった。2017/11/02
Kentaro
19
妻の恵信尼の書状には親鸞が、範宴と名乗り、比叡山で堂僧をつとめ、法然上人のもとで浄土宗に改宗するまでの経緯をはじめて明らかにした。 さらに、関東巡教の旅に出て、三部経千部読誦を中止した挿話、法然上人が勢至の化身、聖人が観音の化身である夢を見たと言う叙述、彼女の晩年の越後での生活が記された書状によって親鸞の生きざまもつまびらかにされたのである。 恵信尼のこの10通の書状が現代まで残ったのはまさに奇跡だっただろう。2019/03/31
キミ兄
0
親鸞の一生、浄土真宗の成り立ち。☆☆☆☆☆。2010/08/01
も~り~
0
長かった。2011/12/10