出版社内容情報
渡米、ロンドンでの学究生活の後郷里和歌山で研究に没頭し、国内よりは海外で高い評価を得た南方熊楠の全体像を活写した大河評伝
内容説明
熊楠は和歌山の金物商・南方弥兵衛の次男として、慶応三年に生れた。日本一のエリート校であった大学予備門に入学したが、型破りの性格は大学になじまずに退学。以後、渡米、南米放浪、英国での学究生活ののち、郷里和歌山で独学研究に没頭した。奇行・博覧強記と背中合わせの孤独、その全体像を同郷の著者が描く大河長篇。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
i-miya
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2013.12.21(12/21)(つづき)津本陽著。 12/16 (p181) 「おのれのことを足りない人間だと天を恨んではならない、それはあなたの料簡違いだ、天は衆生をみな幸せになるように采配している」という句を思い出して帰って行った。 熊楠は、書物にのみ沈潜する日常を次のように記す、「自分は他人と比べて甚だことなる性質、性格をしている、異なる気象を持っている、一つに世間から入れられることはない」 2013/12/21
i-miya
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2014.01.24(01/21)(つづき)津本陽著。 (p182) (美津田滝次郎) 足芸師。 近日、スペインへ。 M04、日本立つ。 中国、インド、数年後帰朝三年、北米、ヨーロッパのちロンドン滞在、すでに三年。 一座に千田という70男、三十代の甥といる。 老人と甥は、ペルーで美津田と同行、二人は播磨の船頭。 2014/01/24
i-miya
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2013.11.20(2013.11.20)(つづき)津本陽著。 2013.11.13 (p168) 高貴な祖先の安息を民族意識的に望む特有の神話の宝庫せある日本に固有の星座がわずかしかないのは、不思議である。 ネイチャー誌社長ロッキャーは倨傲無比(きょごうむひ)の老爺として知られていた。 しかし南方熊楠の卓越した学殖を認め、彼の論文を相次いで同誌に掲載して学界にその能力を認めさせようとしていた。 中井芳楠から食事の招待、その手紙の内容を日記に記す11/17(金)。 2013/11/20
i-miya
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2013.08.05(つづき)津本陽著。 2013.08.04 正金BKの窓。 美津田滝次郎と初めて知り合ったのはそこ。 美津田は熊楠が経巡った中米諸国を巡行していた。 話ははずむ。 40過ぎ、美津田。 さまざまの奇談披露。 7/11、熊串、自宅へ遊ぶ。片岡政行という人物、通称片岡プリンス。 英語の達人。 なにぶん本性のわからない男である。 しかし、この男、小生を変な男だが、学問はおびただしいと思ったか、大英博物館長たりしフランクスに小生を紹介してくれた。 2013/08/05
i-miya
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2013.03.21(つづき)津本陽著。 2013.03.20 彼には、ひとところに留まることを嫌うところがある。 そういう本性である。 熊楠が村田とともにサンフランシスコを去り、ネブラスカへ向かった(8/8)。 排日論、ネブラスカ、忠告する総領事館。 プレーリードックと申す小獣、無数住し、うごめくことあたかも和歌浦のテンポガニに異ならず。 シエラネバダ山脈。 ロッキー山脈。 テンポガニ・・・しおまねき。 ルンコリン。 米国農業の底力。 2013/03/21