内容説明
西南戦争が終結した後も、日本の動揺は続いていた。そんな時、今度はなんと近衛兵が反乱騒動を起した。竹橋事件である。事態を重く見た時の陸軍卿山県有朋は、軍のより一層の近代化を進めるため、軍人の軍人たる心構え、すなわち「軍人勅諭」を創るよう西周に命じた。明治初期、近代国家への変身を描く。
著者等紹介
松本清張[マツモトセイチョウ]
1909(明治42)年12月、福岡県企救郡板櫃村(現・北九州市)に生れる。53(昭和28)年「或る『小倉日記』伝」で第28回芥川賞を受賞。56年、それまで勤めていた朝日新聞社広告部を退職し、作家生活に入る。63年「日本の黒い霧」などの業績により第5回日本ジャーナリスト会議賞受賞。67年第1回吉川英治文学賞受賞。70年第18回菊池寛賞、90年朝日賞受賞。92(平成4)年8月死去
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感想・レビュー
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harass
60
小谷野敦の本で知った積読を消化。山縣有朋を描く歴史小説。明治11年、竹橋事件に軍の最高責任者である山縣は愕然とする。精鋭のはずの近衛兵の反乱が起きたのだった。それも、主要原因は給与の削減だという。武士と君主の忠誠の仕組みではなく、海外の借り物でもない、新しい軍人の忠誠の対象を探すことに。山縣のことを描く小説が少ないのは、人間的に魅力が乏しいことと、日本帝国軍の基礎をつくったのと民権運動などの弾圧を行ったとして悪名が高い。反体制側からの視点ではなく、政府側からの視点は珍しい。まだ国力が弱かったのだ。良書。2017/05/28
i-miya
37
2013.03.27(つづき)松本清張著。 2013.03.27 山県邸に天皇の行幸があった。 天皇が功臣の邸を訪れるのは、岩倉と、西郷ぐらいである。 51. 夜会、伊藤博文総理官邸。 仮装会か。 日本武尊=長崎省吾。 唐子=岩倉具定。 フランス古代武者=谷森真男。 2013/03/27
i-miya
35
2012.11.21(つづき)松本清張著。 2012.11.20 赤井が石川島を脱獄。 海を泳ぎ、明石町河岸に上がり、俥夫を殺した。 二名脱獄、仲間は松田という、同室のもの。 松田は、大久保を殺した島田一男の背景。 二人逃げるために俥夫を殺した。 41. 河野先生と獄中で会う、おう。 上陸して熊本県士族林のところへ。 俥は万世橋のところに捨てる。 赤井の姿は見えぬ。 2012/11/21
i-miya
33
2013.06.23(つづき)松本清張著。 2013.06.23 山県と伊藤博文。 有朋は、今日も朝から馬に跨り、街へ降りていく。 (P302) 朝の食事の最中の家。 白衣の男が鉦(かね)を鳴らし、歩く、江戸のままだ。 しあし、社会は眼に見えないところで動いている。 一人一人の顔は、無気力な庶民のそれだが、集まると大きな暴民の集団と化す。 来年ヨーロッパの地方都市を視察する、品川弥二郎の薦めだ。 外国の地方制度。 にころともせず、子どもの前を通り過ぎる。 (読了、2013.06.23 1600)2013/06/23
i-miya
33
2012.01.02(つづき)松本清張著。 山県有朋、8/23、2100、伊藤の手紙、受け取る。持参は石井。山県-富士見町。次女の松子を産室に見に行く。「伊藤には、心配いらん」と言え、と石井へ告げる。大山厳、(陸軍中将、のちの軍務局長に当たる軍務第一局長)、警備、近衛局は野津道貫大佐、近衛参謀長が警備。武井はどこからこの情報を聞き込んだのだ。部下の西村です。それはおかしい。厠、3人シャベル?武井の報告、つくりごとめいている。2012/01/02