内容説明
昭和ほど多くの遺書が書かれた時代はない。二・二六事件の磯部浅一は天皇へ呪詛の言葉を投げかけ、死地に赴く山本五十六は愛人に相聞歌を贈った。焼け跡の日本人を勇気づけた美空ひばりが息子に遺した絶筆、そして偉大なる君主・昭和天皇の最後の御製は―。遺書でたどる昭和史、決定版。
目次
第1章 テロと不安と憤怒と(昭和初年~開戦まで)「天皇陛下、御あやまりなされませ」
第2章 前線に散った人々(開戦~昭和20年8月)「ああ 戦死やあわれ」
第3章 敗れた国に殉じて(敗戦前後)「一死以て大罪を謝し奉る」
第4章 戦後の混乱のなかで(昭和20年代)「すべて精算カリ自殺」
第5章 政治の季節と高度成長(昭和30~40年代)「血と雨にワイシャツ濡れて」
第6章 大いなる終焉へ(昭和50~60年代)「音たえてさびし」
著者等紹介
梯久美子[カケハシクミコ]
1961年熊本県生まれ。北海道大学文学部卒。2006年、『散るぞ悲しき硫黄島総指揮官・栗林忠道』(新潮社)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。同作は、米・英・韓・伊など世界七か国で翻訳出版されている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
り こ む ん
30
死をおおぴらに悼む事が、できなかった昭和前半。本音をかくし、公的に死に向かう。江戸明治大正。時代を経ても日本の死の価値観は、変わらず、命は個人にあらず、国にあった。敗戦を迎え、本当の意味での開国(個人的に)にて、全ての価値観が変わり、命が己がモノとしてみなされた時、はじめて日本人は、本音で遺書が書けるようになったのではないかと思う。そして、遺書を通して、昭和を振り返ると、昭和という時代は、幕末明治大正の3時代を、一時代に凝縮した時代だったようにも思えた。2013/10/28
ふろんた2.0
16
自分の命は国に握られている。昭和という時代がいかに激しい時代だったのか。2015/08/26
雨巫女。
16
《私‐図書館》昭和が、いかに激動の時代だったか、わかる本。遺書は、やはり必要だと思いました。2011/05/10
Cinejazz
13
激動の時代に書かれた「遺書」で辿った昭和史。 軍人や政治家、普通の市民の遺書のなかには、死に臨んで社会への批判や世代の主張、時代への無念の抗議が、魂の声として書かれたものが多い。 本書は、二・二・六事件で処刑された青年将校の天皇に呪詛を投げかけた獄中の手記、死地に赴いた山本五十六海軍大将の愛人への手紙、マラソンランナー・円谷幸吉の慚愧の遺書、日航機墜落事故に遭遇した乗客の家族に宛てた最後のメッセ-ジなど、55人の魂の記録てして綴られたノンフィクション。2022/08/18
モリータ
9
◆2009年刊、『文藝春秋』同年1月号の特集を加筆・修正したもの。時期別・オムニバス形式だが前後のつながりも工夫してある。他の章が10~20年ずつなのに対し、5年程度の太平洋戦争前後の章が多くを占めるのはまぁ、読者層からしてもむべなるかな、といった感じ。◆人物・評伝は既知のものもあるが、永井隆(『長崎の鐘』)、岡田資(『ながい旅』『明日への遺言』)、岸上大作(『血と雨の墓標』)あたりは関連作品とともに興味を持った。◆「これは扱わないんだ」というのが出てこない(生産的教養がない)のは悔しい。2020/05/28