出版社内容情報
この5月で新型コロナは2類から5類に移行し、日本のパンデミックもやっと終わりを告げることになった。
世界でパンデミックが発生した当初こそ、欧米での死者のあまりの多さに比べ、日本ではそこまでの被害が出ていなかったことから、ファクターXなどと、日本の特殊性を強調する声もあがった。
しかし、それは幻想だった。欧米ではいち早くパンデミックを終息させ、マスクのない日常を取り戻しているのに、日本ではだらだらと感染拡大は続き、丸3年たってもマスクを外せない暮らしが続いていた。
なぜなのか。
それは、日本が人権を制限できない国だからだ。
前の戦争の反省から、日本は人権の制限に極端に及び腰な国家になった。
しかし、感染症対策は、どこかで人権を制限しなければ効果的に行えないところがあるのだ。
たとえば行動の自由を制限するロックダウン。欧米ではほとんどの都市でロックダウンが行われたが、日本では「お願い」「自粛」のレベルでしか行動は制限されなかった。
今回のパンデミックが史上初めてワクチンによって終息するものとなることは最初から明らかだった。しかし、日本ではワクチンの接種も「推奨」であって、「義務」ではなかった。
本書はWHOでパンデミック対策に従事したこともある筆者による、新しい自由論である。
筆者は、感染症対策が、植民地経営と密接な関係にあることに着目。日本も台湾や朝鮮といった植民地を持っていた戦前は防疫先進国であったことを明らかにする。また、感染症対策が、戦争のたびごとに進化してきた事実に触れる。
そこから、ある程度人権を制限した中でなければ、対策の効果が出ないことを明らかにしていく。
人権は大切だが、それが制限される局面もある。国家は国民を説得し、そのことを許してもらわなくてはならない。それこそが、今後、国家に期待される役割なのである。
国民は3年間、不自由に耐え、できることはすべてやった。あとは政府の決断だけだ。
内容説明
感染症対策と戦争は似ている。ある程度、人権を制限しなければ、効果的に目的を達成することは難しい。都市のロックダウンやワクチン接種の義務化、どれも市民の自由を奪う。欧米はそれを民主的な方法でやり遂げ、パンデミックから抜け出した。日本はどうだろうか―。
目次
第1章 生物兵器開発と感染症
第2章 民主化がもたらした新型コロナ国防の弱点
第3章 日本産ワクチンはなぜできなかったのか
第4章 世界のワクチン開発競争
第5章 スタート地点に立っていなかったワクチン獲得競争
第6章 開発競争での敗戦が意味するもの
第7章 ウイルスの起源、研究所漏洩説
第8章 ワクチンを接種しない自由
第9章 守るために制限する自由
著者等紹介
村中璃子[ムラナカリコ]
医師・ジャーナリスト。同志社大学大学院生命医科学研究科客員教授、京都大学大学院医学研究科非常勤講師。一橋大学社会学部卒、同大大学院社会学研究科修了後、北海道大学医学部を卒業。WHO西太平洋地域事務局では新典・再興感染症のサーベイランスおよびパンデミック対策に、独ベルンハルト・ノホト熱帯医学研究所研究員としては新型コロナワンチンの治験に携わる。新型コロナパンデミック下ではWHOのコミュニケーション・コンサルタントを務めた。二〇一七年、子宮頸がんワクチンに関する一連の著作活動により、科学誌「ネイチャー」等が主催するジョン・マドックス賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
belalugosi6997
coldsurgeon
木ハムしっぽ
gokuri
030314