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出版社内容情報
九月公開『散歩する侵略者』(長澤まさみ他出演)公開を機に、世界から注目される異才の全貌に迫る。宮部みゆき氏らとの対談収録。
内容説明
最新作『散歩する侵略者』に至る円熟期の黒沢映画を徹底解剖する!
目次
第1部 最新作『散歩する侵略者』(対談 黒沢清×宮部みゆき「黒沢映画の不穏さにどうしようもなく惹かれてしまう」)
第2部 2006~2010(対談 黒沢清×蓮實重彦「二十一世紀は黒沢を見なければわからない」;椹木野衣「映画であるだけで充分怖い」;山根貞男「小説とミイラの恋」 ほか)
第3部 2011~2015(エッセイ「映画祭悲喜こもごも」;「帰宅好き」;「脚本書き日記 二〇一一年十一月」 ほか)
第4部 2016~(対談 黒沢清×高橋洋「家族が何かに犯される」;インタビュー「若い男女の恋愛と犯罪を撮りたい欲望」;徹底インタビュー「アナーキーな願望とアンバランスの魅力」)
フィルモグラフィ
1 ~ 1件/全1件
- 評価
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映画、音楽、サッカー本棚
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ぐうぐう
27
2006年から2017年、作品としては『叫』から『散歩する侵略者』までの黒沢清の軌跡を追っている。雑誌「文学界」編集部がまとめているためか、とても硬派な内容だ。黒沢清映画論として、非常に読み応えがある。多くの識者がすでに指摘していることだが、ここ最近の黒沢清の映画は夫婦の関係性をひとつの主題としている。カンヌで賞を取った『岸辺の旅』も、最新作『散歩する侵略者』もそうだ。ただ、夫婦という、とても日常的な関係性が崩れることに端を発し、異常な物語が紡がれるのが黒沢清らしい。(つづく)2017/10/10
踊る猫
21
黒沢清の映画は語りにくい。語ろうとするとどの論者も、自分の論理のフレームを持ち込んで黒沢作品の中で試験的に遊ばせるしかなくなる。批判しているのではない。論じるとはそもそもそうして自分の批評性が作品によって試されることだと(イヤミ抜きに)思うからだ。この本の中でも蓮實重彦・椹木野衣・宮台真司・阿部和重といった論者が黒沢を積極的に論じ、己の批評のフレームを試している。だからこそこの本は単なる寄せ集めの域を超えて生々しいアクチュアリティを保っていると思う。宮部みゆきも魅力的な読みをしているが、もっと女性の声を!2021/03/01
踊る猫
17
冒頭の宮部みゆき氏との対談がピンと来なかったのでハズレかと思ったのだけれど、蓮實重彦御大との対談は流石でそこから読ませる(ので、宮部氏との対談は再読する必要があると思っている)。力の入った構成になっており、ここまで深い分析を呼び寄せるのは一重に黒沢氏の「天然」な資質に依るものなのかもしれない。黒沢氏がなかなか言葉に出来ない戦略的思考を蓮實氏や宮台真司氏が巧く拾っているというか。阿部和重氏に依る『岸辺の旅』論もなかなか鋭く、既に観ていた黒沢映画をもう一度観たくさせられるだけの充実した内容になっていると感じる2017/09/25
しゅん
13
ここ十年の作品を巡る対談・インタビュー・批評集。メンツが豪華だし、どれも小気味の良い文章で楽しく読めてしまう。時代順に並べつつ、軽いエッセイを真ん中に持ってきて息抜きさせるあたり構成の巧さを感じる。『岸辺の旅』の「鳥影」や『LOFT』の「物音がする前に叫ぶ中谷美紀」を指摘する蓮實重彦は流石だし、映画界入りの経緯を語る黒沢インタビューや飄々とした西島秀俊インタビューも面白い。椹木野衣が映画批評を書いている文章って珍しいんじゃないかな。阿部和重は安定のテマティズム批評。映画の語り方の多様性を感じられる一冊。2017/12/31
vaudou
11
映画は総合芸術であって、個人の芸術性がダイレクトに反映されることなどよく考えずともあり得ない。世に言う「作家性」とは、そのことを念頭にした地点から語られなければならない筈だ。だがそれでも黒沢清の映画には「これは黒沢清の映画だ」と感嘆する他ない明確な瞬間が画面に刻印される。近年とみにジャンル横断的になってきている傾向があるが、どんな映画を撮ろうとも視線が孕む禍々しさや終末の予感といったものは画面の端々から滲み出す。黒沢清本人にも予期せぬ、図らずも生まれた最恐のカット。そうした黒沢演出を(続く)2017/09/13