出版社内容情報
39歳で若年性アルツハイマー病を宣告されたトップセールスマン。家族、同僚、仲間たち…笑顔を取り戻すまでの感動ドキュメント!
内容説明
39歳で若年性アルツハイマー病になったトップ営業マン。家族、会社、仲間たち…笑顔を取り戻すまでの感動ドキュメント!
目次
第1章 異変
第2章 告知
第3章 いまの生活
第4章 仕事
第5章 仲間たち
第6章 発信することの大切さ
第7章 認知症とともに生きる旅
著者等紹介
丹野智文[タンノトモフミ]
1974年宮城県生まれ。ネッツトヨタ仙台勤務。39歳のときに若年性アルツハイマー型認知症と診断される。診断後は営業職から事務職に異動し、勤務を続けながら、不安を持っているご本人のためのもの忘れ総合相談窓口「おれんじドア」実行委員会代表を務める。休日を利用して自らの経験を語る活動に力を入れている
奥野修司[オクノシュウジ]
1948年大阪府生まれ。立命館大学卒業。78年から南米で日系移民調査。帰国後、フリージャーナリストとして活動。『ナツコ 沖縄密貿易の女王』で講談社ノンフィクション賞(2005年)、大宅壮一ノンフィクション賞(2006年)をダブル受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
鉄之助
292
車のトップセールスマンだった丹野さんが、39歳で突然「認知症」宣告。「人生もう終わった!」と思った瞬間からの逆転のドキュメント。表紙がすばらしい! 『笑顔で生きる』そのものじゃないか。弓道部の部活OB会での仲間の言葉。「大丈夫だよ。お前がみんなを忘れても俺たちがお前のことを覚えているから」。そこから、「忘れたっていいじゃないか!」と、考えられるようになったという。世間は認知症への悪いイメージしか持っていないが、正しい実態を知ることの大切さを実感した。最初は作り笑いでも、笑顔で生きよう!と強く思った。2023/05/24
ででんでん
79
著者は若年性認知症で30代での発症。仕事も家庭の担い手としてもばりばりの現役。診断が下されたときの様子が詳細に書かれているが、これからのこと、家族のこと、仕事のこと…絶望的な気持ちになるのではないかと想像に難くない。しかし、そこから丹野さんは、いろいろな人たちとの出会いによって「笑顔で生きる」ことを取り戻していく。彼が働く会社の社長の「病気になっても戻れるならいつでも戻っていいよ」という言葉がすごい。失敗を責めず、できないことのみサポート。年齢等は全く異なるが、認知症と診断された義父への接し方のヒント有り2018/11/14
mike
77
先日認知症の親戚と話をした時「普通に話せるのに認知症?」と感じた。これこそが私の偏見だった。丹野さんはバリバリの営業マンだった39歳に認知症になった。本著には当時の症状、絶望感に始まり、どのようにして笑顔の今に至ったのかが綴られる。周囲が温かい。解雇しなかった社長、失敗しても笑顔でやり過ごす家族、サポートする地域の面々。そして何より彼自身の努力と明るさが素晴らしい。認知症についてはマイナスな情報しか伝わって来ない。だが当事者にしか分からない真実がある。それを発信することで偏見を無くしていかなくてはと思う。2023/10/05
ぶんこ
66
39歳で若年性認知症となった丹野さんですが、前向きで明るい。感動しました。母が認知症となってからの自分を省みて恥ずかしくなったくらい、認知症当事者の心の声が綴られていました。何で出来ないのだろう、何で娘を忘れるのだろう、何で何度も同じ話をするのだろう・・等々常にイライラして問い質していました。怒ると当事者は不安と恐怖で押しつぶされてしまいます。当事者に出来る事を奪わず、自立を助ける。私自身認知症になったら自ら施設へと思っていましたが、今は周囲の人に助けてもらいながら自立して生活を楽しもうにかわりました。2020/01/31
Smileえっちゃん
62
認知症ケアの講演でお話しされていて、当事者とは思えない明るい笑顔に引き込まれ、もっと知りたくて、買って帰りました。営業マンとして活躍されていた丹野さん。39歳でアルツハイマー型認知症と診断され、生きる希望も、なくされました。講演では4~5名の方と対談されていました。本当に認知症?と思うほど、明るく、笑顔でお話しされてました。けれど笑顔の奥では、これだけ大変なことを乗り越えられたのですね。お薬も必要ですが、環境が一番。環境とは人と人の繋がり、世間の偏見と誤解があること。認知症と共に明るく生きる事が大切ですね2020/01/11