出版社内容情報
なぜ生み出される意識は数多くあるのに、私が意識できる意識は一つなのか? 存在と時間をめぐる哲学上の難問に挑む、哲学の旅。
この人だけが私で他の人たちが私でないのはなぜか。
すべての人間に意識があるのに、
現実に感じられる意識が一つしかないのはなぜか。
一つはあるのはなぜか。
無限の時間の中で、なぜここが、そしてここだけが〈今〉なのか。
〈私〉の精神を〈私〉から他者に移動させてみる、
あるいは時間を〈今〉から過去に移動させてみるといった思考実験。
また、「時間の矛盾」を主張したマクタガートの議論を通じて、
これまで覆い隠されてきた〈私〉と〈今〉をめぐる問題の核心に迫る。
存在と時間の深遠を問う哲学的冒険!
内容説明
“私”と“今”は実在しない。この人だけが私で他の人たちが私でないのはなぜか。すべての人間に意識があるのに、現実に感じられる意識が一つしかないのはなぜか。一つはあるのはなぜか。無限の時間の中で、なぜここが、そしてここだけが“今”なのか。存在と時間の深遠を問う哲学的冒険!
目次
第1部 世界はなぜのっぺりしていないのか(私は何を問いたいのか―無内包の現実性;私は何を問いたいのか―中島義道氏の解釈との対比;私が安倍晋三になってもなったという変化は起きない;繋がりの仕組みによる“私”や“今”と、むきだしの“私”や“今”;「私である」ことが成立するための異なる二つの基準;“私”の分裂からカントの超越論的統覚・サルトルの前反省的自己意識をへてヴィパッサナー瞑想からアブラハム的一神教へ;繋がりの原理と語りの原理―二種のカント原理;「語りの原理」の根幹にある世界把握;哲学とは何か―「可能性」のタウマゼイン語法)
第2部 時間的なのっぺりしていなさの特殊性―マクタガートの議論を中心にして(極限の貧しさと極限の豊かさ―ヘーゲル『精神現象学』の冒頭部について;マクタガートのA系列とB系列とは本当はどういう分類なのか;時間の矛盾を人称や様相と同型である側面において考察する;マクタガート化されたデカルトをへて認識論的問題設定を退け、「正数と負数」と「加法と減法」の対比によって時間を考える;“端的な現在vs.動く現在”vs.“現実の現在vs.可能な現在”;B系列こそが時間の動性の表現である;現実の動く現在;“私”と“今”の違いを語りの原理と繋がりの原理の対比から考える;ただ不思議なことがありありと与えられているだけ)
著者等紹介
永井均[ナガイヒトシ]
1951年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。同大学院文学研究科博士課程単位取得。現在、日本大学文理学部教授。専攻は哲学、倫理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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