出版社内容情報
応募殺到で募集をやめたスープ教室がある。鎌倉の自宅で1年間、食から生きる本質を問う。91歳「台所の哲学者」名講義を生収録。
さあ、いのちを養うお稽古をはじめましょう。
鎌倉の辰巳邸で開かれているスープ教室は、二〇一六年一月で二〇周年を迎えた。
入会希望者は年々増え続け、いまでは入会まで一〇年を待つ生徒も珍しくない。そこでは四季折々の素材を使ったスープのつくり方はもちろん、卒寿を超えた辰巳芳子が自らの経験から培った食、家族、自然、社会環境との向き合い方、人生哲学が熱く語られる。
この本は初の講義録。1年9か月全14回分の教室で語られたすべてのことばを、丁寧に記録した。
レシピ31種を掲載。時にユーモアをまじえ、レシピだけではわからないスープ作りの勘所を、まるで教室にいるかのような臨場感で学ぶことができる。
内容説明
鎌倉の辰巳邸で開かれているスープ教室は、二〇一六年一月で二〇周年を迎えた。入会希望者は年々増え続け、いまでは入会まで一〇年を待つ生徒も珍しくない。そこでは四季折々の素材を使ったスープのつくり方はもちろん、卒寿を超えた辰巳芳子が自らの経験から培った食、家族、自然、社会環境との向き合い方、人生哲学が熱く語られる。この本は、そこで語られたすべてのことばを丁寧に記録した辰巳初の講義録。さながら教室にいるようにスープのつくり方とともに、人としての“生きていきやすさ”のすべてがわかる。
目次
二〇一四年四月一二日「あなた方はお帰りなさいというときにどういうふうにしているの」
二〇一四年五月一〇日「硬いひよこ豆に心底閉口したから新大陸行きを奨励したのじゃないかと思うくらいよ」
二〇一四年六月一四日「わたしはこんなにおっかない人だけれどちょっとだけやさしいのよ」
二〇一四年七月一二日「それを聞いて母は涙をこぼしたの世界中、母親の考えることは同じかしらって」
二〇一四年一〇月一一日「庭に山椒があってその若芽から小さな実まで使っていけるなんて日本人なればこそ」
二〇一四年一一月八日「半端な色の擂り鉢で半端じゃない仕事をやらされるこれは大いなる日常の矛盾ですよ」
二〇一四年一二月一三日「他人が省みようとしないものにも宝物はいっぱいあるものだ」
二〇一五年三月一四日「怒っているあいだにじゃがいもと米が難らかくなりましたね」
二〇一五年五月九日「想像力でカスタネットの音を頭のなかで響かせながらつるのよ」
二〇一五年六月一三日「ミケランジェロは一体何を食べ何が彼の力になったのかを確かめに行ったの」
二〇一五年一〇月一〇日「真心にも込め方がある 真心の表現の仕方があるということなのだけれど」
二〇一五年七月一一日「日本がそういう国だったことを忘れないで 忘れるなよっていっているの」
二〇一四年三月八日の課題 基本のスープ ポタージュ・ボン・ファムのつくり方
著者等紹介
辰巳芳子[タツミヨシコ]
1924年、東京都生まれ。料理家・随筆家。聖心女子学院卒業後、料理研究家の草分け的存在であった母・辰巳浜子のもとで家庭料理を学ぶ。父の介護経験からスープに着目し、鎌倉市の自宅などで「スープの会」を主宰。メディアを通じて料理を紹介する一方、東西の食文化の歴史、地球環境にも関心を抱き、食の大切さについて積極的に発信している。NPO法人「良い食材を伝える会」会長、「大豆100粒運動を支える会」会長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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