日本人はどこから来たのか?

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  • サイズ B6判/ページ数 216p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784163904108
  • NDC分類 469.91
  • Cコード C0095

出版社内容情報

アフリカを出た私たちの祖先はヒマラヤ山脈を北と南に別れ、再び日本で出会った。科博の俊英研究者が世界に問う新たなる仮説。

◎著者テレビ登場! 日本人の旅路を説き明かす
テレビ東京『46億年の地球博物館~恐竜vs人類~』2016年2月14日(日)16:00~17:15放映予定


約10万年前にアフリカを出たホモ・サピエンス。
彼らはどうやって日本へやって来たのか? その道のりについて欧米学界にはある「定説」が存在する。しかし、著者はそれに違和感を持っていた――。

著者が10年に及ぶ研究の末に積み上げた新説とは。
4万8000年前、アフリカを出た私たちの祖先は、ヒマラヤ山脈をはさんで南北に別れて拡散。1万年後、東アジアで再会する。

そして私たちの遙かなる祖先は、古日本列島に、3つのルートから進出した。

3万8000年前の航海術の証拠と実験、世界各地の遺跡の年代調査比較、DNA分析、石器の比較研究。
国立科学博物館、気鋭の人類学者の重層的な調査によって浮かび上がってきた、日本にいたる人類の「グレート・ジャーニー」、その新たなる仮説がここに――。



【目次】

はじめに 私たちはどこから来たのか?
遺跡調査は日本の国内で閉じているかぎり本当のことはわからない。
本書は、海外の遺跡との比較とDNAの研究という重層的なこの10年の
研究で浮かび上がってきた、人類がこの日本に到達するまでの新しい仮説である

第1章 海岸沿いに広がったのか?
私が強く違和感をいだいてきたのが、欧米研究者の間でいつのまにか
定説となっている「海岸移住説」だった。アフリカを出た人類は、
中東から海岸沿いに広がっていったというものだが、はたしてそれは本当だろうか?

第2章 私たち以前の人類について
かつて私たちホモ・サピエンス以外にもいくつもの種類の人類がいた。
北京原人やジャワ原人らの原人、より人間に近いネアンデルタール人らの旧人。
これら滅びてしまった人類のことをまず、整理しておく必要がある

第3章 ヒマラヤ南ルート
世界各地の遺跡年代をマッピングすると、ホモ・サピエンスは4万8000年前、
ヒマラヤ山脈を南北に隔てて、別れて拡散していったことがわかる。
インドから東南アジアへ進んだ「南ルート」をたどった者たちを見る

第4章 ヒマラヤ北ルート
ヒマラヤの北ルートへ回った集団は予想外に早く南シベリアに進み、
北極圏に至った者までいた。さらにモンゴルを経て、4万年前頃には
中国、朝鮮半島など東アジアに到達したらしいことが、石器の特徴から見えてくる

第5章 日本への3つの進出ルート
日本では3万8000年前から、突如人類遺跡が爆発的に現われる。
それ以前の遺跡には確証がない。それまでいわば無人の野だった日本へ、
対馬、沖縄、北海道の3ルートから別々に、初めて祖先が足を踏み入れた

第6章 対馬ルート、最初の日本人の謎
3ルートで最も早く日本に入ったのが対馬。学界では見過ごされてきたが、
対馬から本州へは海を越える必要がある。しかも到来直後の遺跡からは、
世界最古の往復航海を示す証拠が。最初の日本人は、航海者だったのだ

第7章 沖縄ルート、難関の大航海
沖縄に来た祖先は誰だったのか。本州と全く異なる遺跡の証拠は
南ルートを示唆する。だがそれには台湾から黒潮を横断し100キロを
はるかに超える航海が必要。その本当の困難さを知るには、航海の再現実験しかない

第8章 北海道ルート、シベリアからの大移動
北海道の人類出現は3ルートで最も遅い。すると彼らは大陸でなく
本州由来の可能性もあるのか? だが北海道の2万5000年前の石器文化は
北ルートと共通する。やはりシベリアから南下してきた祖先がいたのだ

第9章 1万年後の再会
対馬から入ってきた「最初の日本人」のルーツはどこなのだろう。
今わかる証拠から考えられることはひとつ。ヒマラヤ南北ルートをたどった
それぞれの集団は、東アジアで1万年ぶりに再会し、混じり合ったのだ

第10章 日本人の成立
3つのルートからそれぞれ日本列島に入ってきた3つのグループはいかにして
今日の日本人までつながっているのだろうか? 朝鮮半島や中国で発掘される
人骨や石器などとの比較やDNA研究で、ここまでわかった

内容説明

約10万年前、アフリカを出た私たちの祖先は、4万8000年前、ヒマラヤ山脈を挟んで、南北に別れて拡散、1万年後、東アジアで再会する。そして、私たちの遙かなる祖先は、古日本列島に、3ルートから進出した。3万8000年前の航海術の証拠そして実験、世界各地の遺跡の年代調査比較、DNA分析、石器の比較研究。国立科学博物館気鋭の人類学者の重層的な調査によって浮かび上がる日本にいたる人類の「グレート・ジャーニー」その新たなる仮説―。

目次

はじめに 私たちはどこから来たのか?
第1章 海岸沿いに広がったのか?
第2章 私たち以前の人類について
第3章 ヒマラヤ南ルート
第4章 ヒマラヤ北ルート
第5章 日本への3つの進出ルート
第6章 対馬ルート、最初の日本人の謎
第7章 沖縄ルート、難関の大航海
第8章 北海道ルート、シベリアからの大移動
第9章 1万年後の再会
第10章 日本人の成立

著者等紹介

海部陽介[カイフヨウスケ]
人類進化学者。1969年東京都生まれ。東京大学理学部卒業、東京大学大学院理学系研究科博士課程中退。理学博士。1995年より国立科学博物館に勤務し、現在は人類史研究グループ長。第9回(平成24年度)日本学術振興会賞。化石などを通して約200万年にわたるアジアの人類史を研究し、ジャワ原人、フローレス原人などの研究で業績をあげてきた。アジアへのホモ・サピエンスの拡散についての、欧米の定説に疑問を抱き、これまでグローバルに結び付けて考えられてこなかった日本の豊富な遺跡資料を再検討(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

おさむ

40
タイトルに対する答えは、約38000年前、対馬、沖縄、北海道の3ルートから別々に私たちの祖先が日本にやってきた。人類進化学者である著者はあとがきでこう記す。「人類史の中では集団の移動と混血、文化の伝播と相互作用が繰り返されているため、純粋な民族や文化などあり得ない。つまり民族とは、政治や言語、人々の認識によって人工的に規定された仮の線引きに過ぎない。それを理解すれば優劣という意識が薄まり、他の人々を尊重する空気が醸成される」。世界中で、不寛容な空気が広まる今こそ、かみしめたい言葉だと思います。2019/10/04

たかしくん。

37
「サピエンス全史」の影響もあり、図書館より。前半のサピエンスがアフリカから東進する部分は、私てきには、ちと長すぎる感もありましたが。備忘録として、まとめから引用します。「かつてアジア南北のルートを別々に辿り、それぞれ違う困難(含む航海)をくぐり抜けたサピエンス達が、再開をとげた舞台の一つが日本列島だった。」2017/06/11

チェアー

36
日本人の祖先の旧人がどこから日本にやってきたのかを遺跡や人骨の検証を通じて考察した書。北方、大陸、台湾と海洋というルートが考えられるが、それらの単純に文化が複雑に混じり合いながら進化してきたのがいまの日本人の姿だと説く。「純粋な日本人」というモデルは存在しないということだ。人種やら民族といった、人為的に固定した概念が幅をきかしているが、地球に生きるものたちは地球の子供であって、互いに影響を与え合いながらともに生きていくしかない。それがこれまでの歴史の大きな流れだと改めて感じた。2016/09/06

テクパパザンビア

33
本のタイトルで心理面&精神的な日本人のルーツの話かと思ってたらアフリカで生まれたホモ•サピエンスの祖先の日本に到達するまでの仮説の話だった。考古学や遺跡分析やDNA分析とか創造力が豊かでないとこういう研究は出来ないだろうなぁ〜。2016/11/29

HMax

24
21世紀の現代でも、シベリアのような極寒の地に人が住んでいることが不思議なのに、3万3千年も前に生活していた人がいるなんて、驚きです。「世界最古の落とし穴」遺跡が日本にあったというのにはびっくり。日本人がどこから来たのか?という問には「骨が語る日本人の歴史」の方が分かりやすく、楽しく説明されていますので、お薦めです。2016/08/14

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