出版社内容情報
三島由紀夫、江藤淳、村上春樹、町田康──著者ならではの問題意識と危機感が把えた、幅広い評論活動の集大成である真の文藝評論
内容説明
現代から古典へ文学と斬り結ぶ太刀の下に、その本質が顕現する批評の精髄。
目次
古屋健三と大岡昇平
南部の慰安―永井荷風のいろどり
数え切れない事と、やり切れない事と
書かれた「地下鉄サリン事件」
Introducing町田康to…
近代日本文学の零地点―小島政二郎論
野口冨士男の感触
石川淳とサン・テミリオン―『森鴎外』について
小泉八雲の「人種」と「日本」
陽明学と突撃隊〔ほか〕
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
トックン
3
タイトルにある「南部」とはアメリカ南部のことで、慰安はそこに注ぐ陽光の「衝動と倦怠」を指す(元はバーボンリキュールの福田独自訳らしい)。本書は、保守思想の路線変更を図る。福田恆存的「生活」から江藤淳的「美」へ。大正生まれ神田育ちの福田の言う近所のソバ屋と保守がつながる素朴な時代から、足場(伝統)を喪失した(喪失感すらない)時代に保守する対象は、生活を殲滅する「美」しかない。パンク的衝動に基づく「言葉の政治」を仕掛けることで仮初の「伝統」を捏造せんとする姿勢は、左派論壇でのかつての大塚英志に似る。2018/03/17
ミスター
2
馬鹿馬鹿しいほどに空疎な言葉で驚いてしまったが、もともとわかっていたことを再確認させられた。さいきん読んでなかったから忘れてしまっていたが、そうだ。批評とは空疎な代物なのだ。言葉とはなにかと探ろうとする言葉を批評するものとしての批評は何物もない空虚なポッカリと空いた世界をいずれはみいだしてしまうわけで、そこからしか批評は生まれない。己の空虚さを隠蔽するエゴイズムとそのエゴイズムがあたかも知であるかのような勘違いを引き起こすことを福田は何よりも批判しているのだ。我々は自分のエゴイズムを肯定しなければならない2019/08/15