山河ありき―明治の武人宰相・桂太郎の人生

山河ありき―明治の武人宰相・桂太郎の人生

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  • サイズ B6判/ページ数 283p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784163187105
  • NDC分類 913.6
  • Cコード C0093

出版社内容情報

軍人として陸軍大将、政治家としては三度目の首相の座についた桂太郎は日本癌研究会、地学協会、日本赤十字社、拓大の創立に尽力した

内容説明

日露戦争時の首相で、三度の首相に就いた桂太郎は拓殖大学の創立者でもあった。―激動の時代と共に生き、20世紀に目を向けた軍人政治家の生涯を描いた書き下ろし長篇歴史小説。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

mura_海竜

34
『ニコポン』の桂太郎。明治維新の第3世代と言える人物。萩での幕末前から明治維新、日露戦争の軍人宰相そして晩年までの生涯を描く。長い鎖国時代を経て明治時代に入った当時、外国は大いなる山河。まずは国内、出身や思想の違い、人の好き嫌い、そして、他政党や国民からの反対。クラウゼヴィッツ『戦争論』も。拓殖大学の前身である学校の創立。全体の1/5は日露戦争の内容、日本の勝利について世界に与えた影響も掲載。お鯉という女人のはなし。諸外国との思惑や駆け引きは読みどころの一つ。当時、首相のなり手がいないことに胸を痛くした。2013/12/31

マッピー

15
桂太郎と言えば、西園寺公望と交互に首相を務めた「桂園時代」しか知らなかったけど、拓殖大学の創立者でもあったのですね。長州藩の出身で、日露戦争のときの首相。拓殖大学の創立者であったことでもわかるとおり、台湾の統治にも関わっていた。もっとその功績が知られてもいいような気がするくらい、その活動は多岐にわたっている。ただ、この時代の政治と言えば、日露戦争を外すことができない。余力を残して負けたロシアと満身創痍で勝った日本。当然貰えるはずの賠償金を貰えなかったことが、桂太郎の評価を大きく下げたのではないだろうか。2020/02/17

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