文藝春秋企画出版<br> 子規庵・『日本美術』般若の巻・鴫立庵―原安民と千代のこと

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文藝春秋企画出版
子規庵・『日本美術』般若の巻・鴫立庵―原安民と千代のこと

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  • サイズ A5判/ページ数 336p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784160090521
  • NDC分類 756.14
  • Cコード C0095

出版社内容情報

正岡子規の歌の弟子であった原安民と千代の二人、
岡倉天心から雑誌『日本美術』の出版を譲られ発行。
安民、上野の山の大佛再建事業に失敗し、
故郷大磯に戻って俳諧道場鴫立庵15世庵主となる。

明治に始まる日本文化の変動期を生きた安民と千代、
鐡を溶かして文字に流し込んだその人生を
孫である著者が遺品から読み解いた評伝。

著者の言葉「原安民と千代の孫である著者は、祖父安民没後七年に誕生したので残念ながら祖父とは面識がない。それだけに祖母千代から伝わる僅かながらに残る品々を通して読み取れる祖父母の活き活きとした人間像を少しでも明らかにしたいと思い、ここにまとめる事にした。
原安民が言語として蓄えていた膨大な知識と教養は、鋳金と云う本来的に言語を伴わない視覚的な造形藝術の世界の下支えを如何に為していたのか、如何にしてその二つの世界の均衡を保ち続けていたのだろうか、それも探られたならば、と思っている」

内容説明

正岡子規の和歌の弟子であった原安民と千代の二人、岡倉天心から雑誌『日本美術』の出版を譲られ発行。安民、上野の山の大佛再建事業に失敗し、故郷大磯に戻って俳諧道場鴫立庵15世庵主となる。明治に始まる日本文化の変動期を生きた安民と千代、鐵を溶かして文字に流し込んだその人生を著者が遺品から読み解いた評伝。

目次

1 大磯の頃
2 東京 学生時代
3 放浪修業
4 木洩れ日
5 日本美術社設立 美術書の出版
6 日本美術社 富士製作所設立
7 大磯 鴫立庵

著者等紹介

森龍朗[モリリュウロウ]
1954年服部・島田バレエ団付属研究所に入所、1965年パリ芸術劇場バレエに入団。帰国後クラスィカルバレエ森スタジオ開設、バレエ竜の会主宰。東京バレエセンターを同人結成し、創作バレエ公演活動及び指導活動をする。1984年に(社)日本バレエ協会理事。1995年新国立劇場舞踊チィフプロデュゥサ。以降、駿河台大学非常勤講師「パフォマンス論」、文化庁芸術祭舞踊審査委員長、青少年のためのバレエコンクール審査委員長、(公社)日本バレエ協会理事、エリェナパァヴロヴァ顕彰会会長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。