内容説明
1920年代の冬のある日、男が若い女を撃ち殺した。女は男の愛人だった。男の妻は女を激しく憎み、柩のなかの死者の顔に切りかかった。しかし、妻は次第に死んだ愛人のことを知りたいと思いはじめる。都会に暮らす男女のなかに生き続ける、時をさかのぼる憧憬と呪縛。過去、現在、未来を自由自在に往来しながら、饒舌な謎の語り手によって、事件の背景が明らかにされていく。ノーベル賞作家が卓越した筆致で描き出す衝撃作。
著者等紹介
モリスン,トニ[モリスン,トニ][Morrison,Toni]
1931年、オハイオ州生まれ。現代アメリカを代表する小説家。ハワード大学を卒業後、コーネル大学大学院で文学の修士号を取得した。以降、大手出版社ランダムハウスで編集者として働きながら、小説の執筆を続け、1970年に『青い眼がほしい』でデビュー。1973年には第二長篇『スーラ』で全米図書賞の候補となった。1977年の『ソロモンの歌』(以上すべてハヤカワ文庫刊)は全米批評家協会賞、アメリカ芸術院賞に輝き、1987年発表の第五長篇『ビラヴド』でピュリッツァー賞を受賞した。1993年にはその多大な文学的功績に対し、アフリカン・アメリカンの女性作家としては初めてのノーベル賞が授与されている
大社淑子[オオコソヨシコ]
1931年生、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了、同大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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akio
38
最後までよく分からない「わたし」によって語られる夫婦と若い愛人を軸にした「シティ」の物語です。喪失の物語のようでいて獲得の物語でもあるような不思議な読後感でした。ひとつのエピソードが閉じると、別のエピソードが始まり、繋がっていないようでいて物語は進むのですから、ひとつひとつが物語のピースなのでしょう。さながらジャズを構成するいくつかの旋律のようです。後書きによる「文学と音楽について」そういう読み方もあったのかと驚愕でした。邦訳の困難さも想像します。2020/03/11
秋 眉雄
20
1920年あたりのおそらくはニューヨークのハーレム。50代の男が10代の愛人を撃ち殺す。男の妻は葬儀に乗りこみ棺の中の少女の顔を切りつける。それぞれの育った環境と事件後が語られる。どこで誰が言ったのか完全に忘却の彼方ですが、忘れられない言葉『優れた作家は「何を」書くかよりも「どのように」書くかに重きを置く。』という事が読んでいる最中ずっと浮かんでました。原文がそうなのでしょうけど、とても楽々と読み進める文章ではないです。ジャズの手法を持ち込んだらしいのですが、正直よく分からないままのところもありました。2018/02/22
春風
16
直前の物語を受け、新たな物語が語られる。あるいはモノローグが差し挟まれる。物語の中核をなすものは、とある男が若い愛人を撃ち殺したというものであるが、その原因が解明されるように収斂はしていかず、むしろ放散していく。語り手も時間も自由奔放に。あたかも即興演奏であるかの如くに。そのような構成であるが故、日本語に訳されると、語り手や時間や空間を追うのに難がある。原文を少し読んだが、やはり原文は独特のリズム感がある。そのリズム感の再現に努め、直訳に近い脚注を排した翻訳となっているように思うが、それが仇となった印象。2020/02/14
galoisbaobab
14
人類の傷口からダラダラ流れているJAZZそのままの物語。言葉のモチーフが繰り返されて変形されて転調してるけど強いて言えばビ・バップ小説と言いたい。時系列をグチャグチャにしているところがいいよね。ここら辺は巨大化するシティの中で理論化されていくJAZZがBluesをなんとか説明していく形態にも見える。けど、日本語化されるとやっぱり微妙に恣意的な情緒にも思えるな。2017/08/04
kankoto
13
これが難解というのか、難解じゃ無いんだけど中々物語の中にスッと入らせてくれない敷居の高さがあった。しかし、最初はわからないと思う部分も読み進むうちにだんだん分かってくる。殺人を犯した夫、その妻、殺された若い娘、そして彼らを取り囲む人々のそれぞれの物語が わたし と言う語り部によって語られてゆく。知らない間に熱中して読んでいた。 それぞれが抱える出自、報われない思い。 妻のヴァイオレットと殺された娘の伯母アリスとの会話のシーン、終盤の殺された娘の友達フェリスが夫婦を訪ねていくシーン、など気持ちを揺さぶられる2023/07/31
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