内容説明
若者たちはなぜ右傾化するのか。皮肉屋の彼らはなぜ純愛にハマるのか。70年代初頭にまで遡り、アイロニカルな感性の変容の過程を追いながら、奇妙な「ナショナリズム」の正体をさぐる。あさま山荘事件から、窪塚洋介、2ちゃんねるまで。多様な現象・言説の分析を通し、「皮肉な共同体」とベタな愛国心が結託する機制を鋭く読み解く。気鋭の論客、渾身の書き下ろし。
目次
序章 『電車男』と憂国の徒―「2ちゃんねる化する社会」「クボヅカ化する日常」
第1章 ゾンビたちの連合赤軍―総括と「六〇年代的なるもの」
第2章 コピーライターの思想とメタ広告―消費社会的アイロニズム
第3章 パロディの終焉と純粋テレビ―消費社会的シニシズム
第4章 ポスト八〇年代のゾンビたち―ロマン主義的シニシズム
終章 スノッブの帝国―総括と補遺
著者等紹介
北田暁大[キタダアキヒロ]
1971年神奈川県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程退学後、東京大学助手、筑波大講師などを経て、東京大学大学院情報学環助教授。博士(社会情報学)。専攻は理論社会学、メディア史
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感想・レビュー
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harass
56
社会批評本対談からこの学者を知り手に取る。60年代日本赤軍の「自己批判」から70年代糸井重里、80年代テレビ、2000年代のネットでの「ナショナリズム」が出てくるまでの、若者たちの独特なイロニーの変遷を論じる。興味があるトピックなので借りたが、論には納得するところもあるがもっと分量が欲しかったかと感じる。あとがきにあるように80年代論でもあり、自分の体験も近いところがあり夢中になって読んだ。「ビックリハウス」ナンシー関「元気が出るテレビ」業界ネタなどの分析に唸る。良書。2017/07/27
ケー
15
朗らかで明るい「笑い」ではなくアイロニカルで暗い「嗤い」に関する日本の30年を切り取った本作。70年代から2000年代初頭まで。こうやって変遷史を見てみると「70年代以前」「80年代」「90年代以降」に分けられるなあ、とそれぐらい80年代の異質さというか独特さが際立つ感じ。出版がかなり古いけれど、「右でも左でもない現実主義」の台頭を唱えているのは慧眼。まさに現実主義が一番強いのが現代だと思う。2019/11/04
サイバーパンツ
14
本書は60~00年代までの思想を「反省」というキーワードを軸にまとめたものだ。連合赤軍事件によって要請された「反省」から、反省を目的化するための「抵抗としての無反省」、そして60年代的「反省」から断然した「無反省」、その後、《繋がり》の社会性の上昇によって、2chに見られるようなロマン主義的シニシズムへと変容。「人間になりたい」ゾンビたちが実存に執着し続ける限り、スノッブの帝国は終わらない。未だ存在している《繋がり》の社会性。そんな中で、私たちがゾンビから人間になれる日は来るのだろうか。2016/05/21
はすのこ
13
上質な未完成品という印象。言っている事は概ね正しいが、文量が圧倒的に不足している。仕方ない。彼のやろうとしている事は、60年~00年までの日本の思想傾向を語るという内容。それを「反省」というキーワードを元に1冊に...出来ない。出来るわけがないのだ。着想は素晴らしい。2ちゃんねる分析も概ね正しい。著者の本を色々と読んでいこうかな。2016/05/04
浅香山三郎
11
著者と東浩紀の『東京から考える』、あるいは宇野常寛・濱野智史『希望論』からの繋がりで読む。前の二書より分かりやすく、本書を踏まへて、またこの二書を再読してみると分かりやすいのかも。『希望論』については特にさういふ気がする。(余り一生懸命読むつもりはないけど。) 連合赤軍、糸井重里、なんとなくクリスタル、ナンシー関、2ちゃんねるといふ並べ方は奇妙な気もしたが、ナンシー関的な感性と2ちゃんねるの系譜関係など、なるほどと思つた。北田さんについては、文庫になつてゐる広告都市論も読んでみたい。2017/09/06