内容説明
山の神、里の神、家の神をはじめ、天狗、山男、山女、河童、幽霊などの話が百十九話収められた『遠野物語』。牧歌的な昔話としてイメージされる一方、そこには、現実世界を生きる人間たちの「負の遺産」ともいうべき姿が活写されていた。自然について、神様について、人間の生死について、かつての日本人は何を感じて生きてきたのか―。古層の記憶をたどりながら、私たち現代人の未来について考える。
目次
はじめに 古くて新しい物語の世界へ
第1章 民話の里・遠野
第2章 神とつながる者たち
第3章 生と死 魂の行方
第4章 自然との共生
ブックス特別章 世界の中の『遠野物語』
著者等紹介
石井正己[イシイマサミ]
1958年東京都生まれ。東京学芸大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。同大学講師、助教授を経て現職。専門は日本文学、口承文芸学。一橋大学大学院連携教授、柳田國男・松岡家記念館顧問を兼務(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ころこ
40
メディア論として読めないか考えました。テレビをみるように、野良仕事で退屈な日々を紛らわす噺は、メディアの向こう側の世界をつくることで、実際の生活世界よりもイメージの世界を広く豊かにします。芸能人のように河童をみて、社会面の記事をみるように神隠しの噂をする。テクノロジーに頼らない『遠野物語』の時代にこそ、時間と空間を断片化して再構成する人間の想像力が顕在化すると考えると、我々は何時の時代でどうなっても、今見えているものの向こう側を欲望する存在だということを再認識します。小説もまた、そういう読みが成立します。2019/08/10
東谷くまみ
34
鯨庭さんの「遠野物語」の1章ごとに挟まれる石井先生の解説がピリリと効いていたのでこちらも。遠野物語を紐解いていくと昔の人々が何を思い、悩み、どのように生きてきたのかが見えてくる。貧しさ故に手にかけざるをえなかった子供への深い心残りや悲しみ、あの世できっと幸せに暮らしてほしいと願う親の気持ちを昇華させたものが「河童」の話なんだろう。物語の核には人の痛みがある。生と死、自然と人、高齢者と若年者、障がい者と健常者…なんでも「わけて」考えるようになったけど、昔の日本人の持つ「曖昧さ」は優しさに繋がる気がする。2024/12/08
こぽぞう☆
19
「遠野物語」こういった本は、読みたいなとなんとなく思っていても、本屋で平積みにされているわけでも、図書館で目立つ場所に置いてあるわけでもなくて、意外と手に取る機会がない。100分で読めるという抄本で読めたのは良かった。次はできれば現代語訳ではない(この本にも文語で引いてあるけど)「遠野物語」を読んでみたい。江戸時代という個人が旅することもままならない時代と、急速に進んだ近代化の明治、その狭間でしか記録できなかった物語。2016/06/14
てん06
17
遠野物語をいくつかの角度から読み解き、解説している。作品の成り立ちや位置づけ、採集された物語を「神とつながるものたち」「生と死 魂の行方」「自然との共生」といった角度から解説されている。現代と違い、死が身近に、日常にあったことや、自然をリスペクトし共生していたからこその物語の数々。そこには子殺しや親殺し、親棄てといった負の遺産もある。科学が進歩して何もかも合理的になることが果たして全面的に良いことなのか、考えさせられる。続編である「遠野物語拾遺」も読んでみたい。2023/08/15
加納恭史
16
さて、矢作直樹さんの本も少し飽きて、ボンヤリした民間伝承のこの「遠野物語」を読む。ザシキワラシとか懐かしい。山の神とか家の神とかカマドの神とか古代の日本人には神は身近な存在だった。ワラシとは童、童子のこと。その家の繁栄の守り神なのか、ただのいたずら小僧なのか。家の座敷に童子の足跡があったとか。「オシラサマ」も不思議な話だ。大昔に女神あり、三人の娘を伴いこの高原に来た。これは遠野盆地を囲む山々のうち、遠野三山と呼ばれる早池峰山、六角牛山、石神山に三人の女神が鎮座した由来の話。戦前は女人禁制の山でした。2024/04/08