プレートテクトニクスの拒絶と受容―戦後日本の地球科学史

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  • サイズ A5判/ページ数 258p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784130603072
  • NDC分類 450.2
  • Cコード C3040

内容説明

1960年代後半に登場したプレートテクトニクスは、欧米では70年代初めには地球科学の支配的なパラダイムとなった。しかし、日本の地質学界ではその受容に10年以上の遅れが見られた。なぜこのような事態が生じたのか。

目次

序章 プレートテクトニクスと日本の科学史
第1章 大陸移動説からプレートテクトニクスへ―地球科学の革命
第2章 戦前の日本の地球科学の発展とその特徴
第3章 戦後の日本の民主主義運動と地学団体研究会
第4章 「2つの科学」と地学団体研究会
第5章 日本独自の「地向斜造山論」の形成
第6章 プレートテクトニクスの登場と日本の地球科学
第7章 「日本列島=付加体」説の形成とプレートテクトニクスの受容
終章 プレートテクトニクスの受容とそれ以降の日本の地球科学

著者等紹介

泊次郎[トマリジロウ]
1944年京都府に生まれる。1963年京都府立東舞鶴高等学校卒業。1967年東京大学理学部物理学科地球物理コース卒業、朝日新聞社入社。科学朝日副編集長、大阪本社科学部長、編集委員などを歴任。2002年東京大学大学院総合文化研究科科学史・科学哲学講座博士課程入学。2003年朝日新聞社退社。2007年上記課程修了、博士(学術)。現在、東京大学地震研究所研究生(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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禿童子

14
地球物理学の世界では竹内均などが積極的に唱道したので1970年代には受容されたのに、地質学の世界では1980年代まで遅れた原因を探る労作。泊さんは、科学ジャーナリストであるが、本書は学術論文の体裁を取っている。井尻正二などの戦後民主主義の思想色の強い地団研の拒絶と、地向斜理論へのこだわり、現場主義の文化風土が主因と分析する。四万十帯の地層準位の逆転と付加体など説得力のある証拠が海洋底拡大・プレート説の受容を促した。しかし日本海の成因など未決着の問題もあり、支配的学説になったからすべてが正しいわけではない。2016/06/13

yooou

8
☆☆☆☆★ 地団研の存在が日本におけるPTの受容に10年以上の停滞をもたらしたのかどうか。これは場外に持ち越される香ばしい事態となっている模様だけれども、遅れたこと事態は紛れもない事実だと思われます。問題はこの遅れが齎した弊害。PTの活動を無視したことで何が損なわれたのか。そこが知りたかった。僕は原発の立地とかが気になるわけですけども。2012/07/03

キスイ

4
プレートテクトニクスの話ではなくプレートテクトニクスの研究史のはなし。戦後からのはなしなので歴史というには新しく、なかなかに生々しい。どことなく政治のにおいがしたり、いろんなしがらみが見えたり。読み物として意外と面白かったです。2013/02/20

メルセ・ひすい

3
10. 青41 学術書 PTの歴史 論文と学説の歴史。1960年代後半に登場したプレートテクトニクスは、欧米では70年代初めに地球科学の支配的なパラダイムとなるが、日本の地質学界ではその受容に10年以上の遅れが見られた。なぜこの様な事態になったか。その解明を行う。2008/10/29

時雨

2
地表を覆うプレートの運動によって地震・火山等の地質現象を説明するプレートテクトニクス(PT)。1960年代後半に出現し、70年代には地球科学の支配的パラダイムとして欧米を中心に定着した。しかし日本では地質学界からの批判が根強く、80年代後半の受容に至るまで10年以上の遅れが生じたという。東大理学部で地球物理を専攻し、朝日新聞勤務時代に夕刊や雑誌で組んだPT特集が地学関係者から抗議を受けた経験のある筆者が、PTへの反応を軸とした戦後の学説史を概説する。門外漢が一読するには不向きだが、興味深い内容だった。2021/01/21

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