出版社内容情報
著者の自序に曰く、「日米開戦前後の交渉事項や太平洋を舞台とした戦争の経過などについては、すでに多くの資料や記録が刊行されているが、枢軸側三国を結ぶ〝ベルリン〟を中心とした世界史の一章は、いまだに秘められたまま今日にいたっている」――世界史転換の動機をつくった日独伊三国の枢軸側がなぜ敗戦の運命を共にしたのか? という問いへの答えを、「当時いずれも最高の機密に属し、外部への発表を禁ぜられていた貴重な史料」に基づき、反省を込めて綴った回想記。
著者は一九四〇年から三年にわたりベルリンに駐在し、日独伊三国同盟の軍事委員として独伊との作戦調整にあたった。本国からの情報不足や、日独の戦争方針の違いといった困難に直面する様は、当事者ならではの臨場感にあふれている。ドイツからのUボート回航を担ったのち、東条内閣末期に海軍大臣、その後は海上護衛司令長官などを歴任し、終戦に向けての動きも知る存在であった。
海軍の要職を務めた人物の手記として、私家版の『自叙 八十八年の回顧』、および「サンデー毎日」に寄稿した「東條内閣崩壊の眞相」を収録した史料的価値も高い貴重な一次資料である。
解説は『独ソ戦』(岩波新書)の大木毅氏。
【目次より】
『潜艦U‐511号の運命』
序文
一 的はずれになって行く三国条約の効果
シベリヤ経由で戦乱の欧州へ
渡欧後のドイツを見る
ドイツ、イタリアの前線、銃後をみる
ドイツの英本土上陸戦準備の実情
松岡外相の訪独とバルカン戦
ツンボ桟敷から日米交渉を見守る
アメリカを強腰にさせたドイツのモスクワ敗戦
二 日独伊協力戦の実相
軍事協定の締結
独、伊の軍首脳部と新作戦を語る
日本のインド洋進出に矢の催促
独(伊)の態度冷たくなる
仲直りにドイツ潜水艦の寄贈
ドイツはなぜ対ソ攻勢につまづいたか
日独の経済協力
三 日本側在独者のベルリン会談
待ちかねた日本からの連絡使
チュニス地中海戦線の戦況
ドイツの潜水艦作戦
連合側の戦争指導とその戦力
ドイツの戦争指導とその戦力および国内事情
ドイツと欧州各国との関係
四 潜艦U・511号とともに
ヒットラーついにスターリンを信用せず
寄贈の潜水艦東京へ回航
東京に帰って
日本の決戦態勢の実情
潜艦U・511号の運命
むすび
「東條内閣崩壊の眞相」
『自叙 八十八年の回顧』
解説 大木毅
内容説明
枢軸側三国を結ぶベルリンを中心とした世界史の一章は、いまだに秘められたまま今日にいたっている―一九四〇年から三国同盟の軍事委員を務めた著者が、機密資料をもとに綴る戦争秘史。日独の調整に腐心し、Uボートの日本回航を担った臨場感溢れる回想記に、私家版の『自叙 八十八年の回顧』と「東條内閣崩壊の真相」を増補。
目次
1 的はずれになって行く三国条約の効果(シベリヤ経由で戦乱の欧州へ;渡欧後のドイツを見る;ドイツ、イタリアの前線、銃後をみる;ドイツの英本土上陸戦準備の実情;松岡外相の訪独とバルカン戦;ツンボ桟敷から日米交渉を見守る;アメリカを強腰にさせたドイツのモスクワ敗戦)
2 日独伊協力戦の実相(軍事協定の締結;独、伊の軍首脳部と新作戦を語る;日本のインド洋進出に矢の催促;独(伊)の態度冷たくなる
仲直りにドイツ潜水艦の寄贈
ドイツはなぜ対ソ攻勢につまづいたか
日独の経済協力)
3 日本側在独者のベルリン会談(待ちかねた日本からの連絡使;チュニス地中海戦線の戦況;ドイツの潜水艦作戦;連合側の戦争指導とその戦力;ドイツの戦争指導とその戦力および国内事情;ドイツと欧州各国との関係)
4 潜艦U‐511号とともに(ヒットラーついにスターリンを信用せず;寄贈の潜水艦東京へ回航;東京に帰って;日本の決戦態勢の実情;潜艦U・511号の運命;むすび)
著者等紹介
野村直邦[ノムラナオクニ]
1885年(明治18)、鹿児島県生まれ。1904年(明治37)海兵第三五期入学、19年(大正8)海大卒。第一潜水隊参謀を経て22年にドイツ駐在。帰国後、第一六潜水隊司令、艦政本部員。29年(昭和4)ドイツ大使館付武官、次いで重巡「羽黒」空母「加賀」艦長、海軍潜水学校長、第二潜水戦隊司令官、連合艦隊参謀長、軍令部第三部長などを経て40年(昭和15)日独伊三国同盟軍事委員となり、43年までドイツ駐在。軍事参議官、横須賀鎮守府長官ののち44年(昭和19)大将。東条英機内閣末期の数日間海相を務めたあと、海上護衛司令官、海運総監となった。戦後、愛郷連盟会長など。73年(昭和48)12月没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。