内容説明
戦後日本を代表する二大批評家が、一九六〇年代半ばから八〇年代後半にかけて行った全対話を年代順に収める。文学から思想、政治から時代状況まで論じる戦後批評の到達点。『文学と非文学の倫理』に吉本のインタビュー「江藤さんについて」を増補し、改題した決定版。
目次
文学と思想
文学と思想の原点
勝海舟をめぐって
現代文学の倫理
文学と非文学の倫理
インタビュー 江藤さんについて
解説対談 吉本隆明と江藤淳―最後の「批評家」
著者等紹介
吉本隆明[ヨシモトタカアキ]
1924(大正13)年、東京生まれ。詩人・評論家。東京工業大学電気化学科卒業。52年『固有時との対話』で詩人として出発。その後、評論家として精力的に活動し、「戦後思想界の巨人」と呼ばれる。2012年3月死去
江藤淳[エトウジュン]
1932(昭和7)年、東京生まれ。文芸評論家。慶應義塾大学文学部英文科卒業。56年刊行の『夏目漱石』で新鋭批評家として一躍脚光を浴びる。69年末から約9年にわたり毎日新聞の文芸時評を担当。『決定版夏目漱石』『漱石とその時代』で“菊池寛賞、野間文芸賞”、『小林秀雄』で“新潮社文学賞”。99年7月死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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猫丸
12
吉本は「人類」江藤は「社稷」を視線の源とする。吉本は死から省みた正当性、江藤は虚構としての歴史にまとめきれない統治者の高貴な心性に重きをおく。ともに超越的価値を模索するが、吉本は大衆、江藤は事実との連繋を手放すことはない。線形なスペクトル上に位置づければ互いの座標は遠い。しかし偏執性とラジカルさを共有する二人である。吉本には「あなたにとって母とは何か。母の母とは何か。その母とは何か。特にあなたの詩作を前提として」と問うべきだった。江藤には「あなたにとっての父との関係は如何」と迫ってもよかった。2019/08/28
悠
8
戦後論壇にて保革を代表する批評家が、60年代から80年代にかけて5度もの対話をかさねていたことを、遅まきながら知る。面と向かってここまで本質的な批判をぶつけあうのか、と読んでいるこちらがハラハラするような凄絶な斬り合いにグイグイひきこまれた。これが殴り合いにも険悪なムードにもおちいらず、互いの根っこをひきだす有意な成果をあげているのは、いかに対極的な立場であっても、ともに思想の底流をなす絶望の目くばせと、ひとりの生活者であることに思索の軸足をおくことへの共感があるからだろう。両者の著作が好きな訳も、また。2017/03/16
GO-FEET
7
「僕はかつて、スマートボールの景品で食ってた時があるんですよ。失業時代にね。その時、これは方法は簡単なんだけども、ただ、どうしてもプロになりきれない最後の一線というのはあるんですね。そして、それはやはり屈辱感ということに関連するわけです。(中略)素早く所定の場所、ここなら完全におれの方法でやればプラスなんだという台へすーっと、だれもまだ客が来ない時に行けばいいわけですがね。それができるかできないかということが、プロであるか、アマであるかということの分岐点だと思うのです。」2018/04/24
ダージリン
4
贅沢な対談集。村上春樹、村上龍に対する見方の違いなどは両者の差がはっきり出ていて面白い。サブカルチャーとして位置付ける江藤氏と、そこにカルチャーの変容を見る吉本氏。江藤氏を単に古い感覚とすることは出来ず、それがこの対談の面白さになっているように思う。70年代末から80年代に掛け、カルチャーが大きく変わったのは確かであろう。両村上の前の世代の作家として大江健三郎、中上健次が挙げられるが、大江作品への言及はあるものの、中上作品への評価は語られない。中上作品をどう見ていたかは聞いてみたかった気がする。2020/05/06
肉欲棒太郎
3
『現代文学の倫理(1982年)』での両者の激突にハラハラし、『文学と非文学の倫理(1988年)』の「あなたがいて本当に僕は幸せだ」という江藤から吉本への熱烈なラブコールに思わずほっこりする対談集。左右の違いよりも"ラジカル"であることの一致点が際立つ。2019/05/27